神社の都伊勢神宮の御本殿

目次

本殿紹介(御正宮)

 

 神宮の神様、天照大御神(内宮)と豊受大御神(外宮)がいらっしゃる御正宮(ごしょうぐう)とは、どの様な建物なのでしょうか。

建築様式や材料、歴史、内宮と外宮の違いなど御正宮について詳しく説明していきたいと思います。

 

*外宮(げくう)

【本殿紹介】

創建は、雄略天皇22年

外宮の本殿は、四重の垣に囲まれていて最初が板垣南御門(いたがきみなみごもん)です。

続いて外玉垣(とのたまがき)、内玉垣(うちたまがき)、瑞垣(みずがき)となります。

最初の門を入ると左手に南宿衛屋があり、第二の垣の外玉垣南御門があります。一般のお参りはここからになります。

(御正宮の入口に垂れ下がっている御幌(みとばり)と呼称される白い布までです。)

そこから、一番奥の高く見えるお宮が豊受大御神のいらっしゃる御正殿(ごしょうでん)であります。

その御正殿の前方には、東宝殿・西宝殿(皇室からのお供えなどをお納めする御殿)があります。

また、御正殿の後ろには外弊殿(げへいでん)と御饌殿(みけでん)がありますがお参りはできません。

御正宮の広さは、内宮より一回り大きいです。

 

御正殿の寸法

  • 棟持柱の高さ:約10m

・全高:約12m

  • 地面から床まで:約2.5m
  • 横幅:約 15m
  • 奥行:約 9m

 

*内宮(ないくう)

【本殿紹介】

創建は、垂仁天皇26年

内宮の本殿は、外宮と同じく(板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣)四重の垣に囲まれています。

外宮とほぼ同じ様に配置されていますが、外宮と違うところは御正殿の後ろに東宝殿・西宝殿が配置されています。

あとは、内宮には外弊殿と御饌殿がありません。内宮の中重鳥居にのみ八重榊(やえさかき)と呼ばれる榊が両方の柱に立てられています。

 

御正殿の寸法

  • 棟持柱の高さ:約10m
  • 地面から床まで:約2.5m
  • 横幅:約 16m
  • 奥行:約10m

 

両正宮の御正殿以外の社殿

「四丈殿」(よじょうでん)

四丈殿は、御正殿と同じく「唯一神明造り」で造られています。屋根の造りも、御正殿と同じく「萱葺きの屋根」です。

雨天の時に主に使用される社殿で、主に「大祓」などの行事に使用されます。屋根上に設置されている鰹木の数は、8本です。

 

「東宝殿・西宝殿」

東方殿・西宝殿ともに、御正殿と同じく「唯一神明造り」で造られています。

屋根の造りも、御正殿と同じく「萱葺きの屋根」です。

サイズは御正殿に比べて、少し小さいサイズの社殿となります。

東宝殿・西宝殿このお社(社殿)は「宝殿」と言って、「御神宝」や「装束」、「衣」、「武具」、「秘宝」が遷宮時に奉納されています。

西宝殿に収められているものは、40年前(前回のその前の遷宮の時)に奉納された「古神宝類」(こしんぽうるい)で、大切に保管されています。

東宝殿に収められているものは、神宮で執り行われる行事である「月次祭」「神嘗祭」「祈年祭」「新嘗祭」で、天皇からの勅使から奉納された品々

(布帛・衣服・紙・玉・お酒)が、大切に保管されています。

なお、東宝殿・西宝殿は、一般の方のお参りはできません。

 

「外弊殿」(げへいでん)

外弊殿には「古神宝類(こしんぽうるい)」が納められています。

外宮の外弊殿も一般の方のお参りはできません。

外弊殿は外宮のみにあります。

 

「御饌殿」(みけでん)

ここでは、「日別朝夕大御饌祭」(ひごとあさゆうおおみけさい)の際に、調理された神饌(お供え物)が、大御神に捧げられます。

(※毎日午前8時から午前9時までにかけての朝大御饌、午後3時から午後4時までにかけての夕大御饌の毎日2回、外宮御饌殿において御饌を供えて行う神事)

外宮の神事でもっとも有名なものの1つが、この「日別朝夕大御饌祭」です。

この神事は外宮の創建以来、戦国期の約120年間を除いて、現代に至るまで1000年以上、毎日繰り返し行われています。

天照皇大神と豊受大御神と、天手力男神、万幡豊秋津姫命、相御伴神三座の6柱の神様たちが、神座に向かい合って共に食をされることになります。

(※「神座」とは「短い脚付の机」の事です。)

台座には「光沢のある美しい絹」が丁寧に覆い被せてあり、その上に「神饌(お料理)」を捧げています。

なお、神饌を調理する神職は、前日から「斎館」にて清めを行って早朝五時から外宮の「忌火屋殿」において火錐具を用いて錐り出す「忌火」とよび、神聖とされる火を使用した

ものが捧げられます。御饌殿も外宮のみにあります。

≪お供え物の種類≫

「御飯(おんいい 蒸飯)3盛」•「御水(上御井神社の神水)」•「御塩(みしお)」

「干鯛(季節により、スルメ・カマス・ムツ)」•「乾鰹」・「海藻」•「野菜」•「果物」•「清酒3献」

 

【建築様式】

内宮・外宮ともに建築様式は、「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」と呼ばれている造りになっております。

神明造とは日本の神社建築様式の1つで、出雲大社の大社造や住吉大社の住吉造と共に、日本古来の神社建築様式とされています。

大社造が宮殿を模した正方形、住吉造の破風(はふ)は古式の直線形で大嘗祭の建物に近似しているもの、神明造は奥行きより幅が大きく、

弥生時代の遺跡の柱の遺構が神明造の柱の配置に似ているため、弥生時代の高床式倉庫の穀倉(こくそう)形式から発展し神宝を納める宮殿形式に

発展したと考えられています。なお、内宮・外宮の両御正殿(本殿)の様式は、他のお社に完全に同じくするものの採用がないため、他の神明造の本殿と区別して

特別に「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」と呼でいます。

 

【神明造の構造】

・ヒノキの素木(しらき)造り

・掘立柱(ほったてばしら)※土を掘りくぼめて穴をつくり穴の底に立てた柱のこと。

・切妻造り(きりづまづくり)※屋根形状のひとつで、屋根の最頂部の棟から地上に向かって二つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根のこと。

・平入(ひらいり)※建物屋根の棟(むね)に対して、直角に切り下ろした側を「妻(つま)」、棟と並行する側を「平(ひら)」とした場合、

平入とは建物の出入口がこの「平」にあるものをさします。

唯一神明造りの特徴は、大きな礎石を置かないで、丸柱を直接地中に埋める「掘立柱」と「茅葺(かやぶき)」の屋根です。

円柱の柱や鰹木(かつおぎ)を除き、ほぼ平面的に加工され直線的な外観で、素木の美しさを最も輝かせる様式です。優雅な曲線の大社造とは大きく異なります。

また、棟持柱と屋根の間には隙間が空いているように見えますが、これはわざと隙間を少し空けて造っています。

外気が梅雨などの湿気の多い季節には膨張して隙間が小さくなり、内部の保存状態を良くします。

一方、真夏の時期には外気熱によって木が乾燥し、嵩(かさ)がもとに戻ってくると、隙間ができて内部の熱を逃がすことができると云われています。

しかし、年数を経るごとに隙間の空きが真夏の時期でも見られ無くなる頃がちょうど20年くらいで、遷宮において社殿いっさいが造り替えられる理由の1つであるとも

言われています。神宮の社殿の中でも御正宮の御正殿は、特に大きく、外に高欄(こうらん)が廻らされ居玉(すえだま)が飾られていることなど、別宮以下の社殿とは特徴が異

なります。また内宮と外宮の御正宮は、社殿の配置・構造など、ほとんど変わりませんが一部相違点があります。

 

≪相違点≫

「外宮」

正殿の構造:折置組(おりおきぐみ)

正殿の鰹木:9本(奇数)※奇数の場合、男性の神様がそのお社の御祭神であることを意味しているといいます。

千   木:外削(そとそぎ)※外宮の千木は、先端の切り口が垂直で、風を通す穴が2つあります。

               ※千木の先が尖っているものは、男性の神様が御祭神であることを表現しているといいます。

東・西宝殿:御正殿の前方、左右

外宮のみ有:御饌殿、外幣殿(げへいでん)(内宮の外幣殿は御垣の外にあります)

 

「内宮」

正殿の構造:京呂組(きょうろぐみ)

正殿の鰹木:10本(偶数)※偶数の場合は、女性の神様がそのお社の御祭神であることを意味しているといいます。

千   木:内削(うちそぎ)※内宮の千木は、先端の切り口が水平で、風を通す穴が2つ半あります。

               ※千木の先が平らな形状のものは、女性の神様が御祭神であることを表現しているといいます。

東・西宝殿:御正殿の後方、左右

内宮のみ有:中重鳥居(なかのえとりい)の八重榊(やえさかき)、内玉垣の東腋門(ひがしわきもん)、瑞垣と内玉垣の間の蕃垣(ばんがき)

 

【屋根】

御正殿の屋根は、材料はヒノキの茅葺です。

神宮の摂社・末社・所管社のほぼすべては板葺(いたぶき)です。

日本古来の、伝統的手法で多くの文化財や屋根で見ることができます。

千木(ちぎ)は屋根の両端で交叉させた部材で、鰹木(かつおぎ)は屋根の上に棟(むね)と直角になるように何本か平行して並べた部材です。

屋根に耐久性の低い萱や板を使うため、屋根の勾配をきつくし、雨や雪が流れ落ちやすくしています。

また、千木と鰹木に、金銅製などの装飾金具を取り付け、耐候性を高めています。

千木は古代、屋根を建造する際に木材2本を交叉させて結びつけ、先端を切り揃えずにそのままにした名残で、

千木・鰹木ともに本来は建物の補強が目的だったと考えられています。また鰹木の数は、男神のお社は奇数で陽数・女神のお社は偶数で陰数とされています。

神宮の場合、内宮の祭神天照坐皇大御神・外宮の祭神豊受大御神とともに主祭神が女神であるにもかかわらず、内宮では千木・鰹木が内削ぎ10本、外宮は外削ぎ9本です。

同様に、別宮では、例えば内宮の別宮「月讀宮」・外宮の別宮「月夜見宮」は主祭神ともに同じ祭神の月讀尊(月夜見宮は「月夜見尊」と記載)の男神ですが、

祭神の男女を問わず内宮の別宮「月讀宮」は内削ぎで偶数の鰹木、外宮の別宮「月夜見宮」は外削ぎで奇数の鰹木です。

この理由には色々ありますが、外宮の祭神が本来男神的性格を帯びていたためとする説があります。

 

【柱】

神明造は基本的に左右対称で、左右には偶数本の柱が配されています。柱と地面の間には礎石も土台も与えられず、掘立柱となっています。

側面中央の、壁面より外側に飛び出し棟へと達する柱を棟持柱(むなもちばしら)と呼びます。棟持柱は通常太く、強度のある用材が用いられますが、

構造上では強度にはあまり寄与しないです。

社殿の中央には心御柱(しんのみはしら)が配されていますが、これも強度には寄与しません。

御正殿の床下には、出雲大社と同じく、心御柱が埋められています。

天照大御神の御神体の丁度、床下あたりに埋められていて、神の依り代的な役割を果たしていると云われています。

心御柱は、神の御霊が宿る木と言う由来がありますが、その多くが謎に包まれたままです。

心御柱が御正殿に埋められている理由は、諸説が色々あるようですが神宮の心御柱は天皇を象徴するものだと云われており、

天皇を守護し、天皇に国を守護してもらうといった意味合いがあるといいます。

また、次の遷宮での御正殿の位置を分かりやすくするために、心御柱を残しているという説もあり有力とされています。

外宮の御正殿の床下にも、内宮の御正殿と同じく、心御柱が埋められています。

内宮では、この心御柱がほぼ地中に埋まっているとされていて、外宮においては半分以上、地上から飛び出しています。

この心御柱の柱の周りには、天平瓮(あめのひらか)という薄いお皿が800枚ほど並べられています。

(※天平瓮とは、吉凶を占うために用いられたとされる土器製の皿のことです。)

心御柱は、一度埋められると40年間はそのまま地中に埋めたままとされています。

神宮では心御柱の関しての神事は秘儀とされていて、儀式は誰の目にも触れない時間帯などに行われるそうです。

40年経ちお役目を終えた心御柱は、荒祭宮の付近にある地極谷(じごくだに)と呼ばれる谷において、「お見送りの儀式」と称される秘儀で埋葬されているようです。

心御柱の長さですが、この長さは一説には、歴代の天皇の身長と一致したと云われております。

つまり、歴代の天皇の身長を「側近」が測り、天皇の背丈に合わせて「心御柱」を切り出していたとされているのです。

これらの理由から、心御柱が天皇自身であり、天皇を崇め、天皇に国を守護していただくと言った意味ともつながってきます。

ただ、現在に至っては、天皇の身長とは関係なく何かの由来に基づいて長さを定めているものと思われます。

≪心御柱≫

  • 長さ:180cm
  • 太さ:約30cm

 

【壁】

神明造の壁は、十分な強度を持つ板材が用いられています。正面中央に1か所観音開きの御扉(おとびら)による開口部が設けられています。

御扉は通常1枚板が用いられるため、大きな社殿では相当の古木が必要になります。皇大神宮の御正殿の場合は樹齢400年以上のヒノキが必要になります。

 

【床】

神明造では通風性を重視していて床が高い構造です。(※高床式倉庫の名残であると考えられていています。)

 

【面積】

外宮の神域の面積は、約九十八ヘクタール

内宮の神域の面積は、約九十三ヘクタール

内宮と外宮合わせた宮域は、約五千五百ヘクタール、伊勢市の五分の一近くを占め、東京の世田谷と同じくらいの面積に匹敵する広さです。

 

【式年遷宮】

神宮式年遷宮は、20年ごとに、内宮・外宮の二つの御正宮の御正殿と14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷します。

このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられます。

神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年に第1回が行われ、その後も戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、

現在に至るまでおよそ1300年にわたって行われ続けています。また、式年遷宮全体の費用は、建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円かかりこのうちの、

約330億円が伊勢神宮の自己資金で、約220億円が寄付で賄われています。

 

≪式年遷宮を行うのは、いくつかの諸説があります≫

・萱葺屋根の掘立柱建物で正殿等が造られているため、塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて

老朽化し易く、耐用年数が短い。

・弥生建築を保つこと式年遷宮によって建築様式の保存を図っている。

・神道の精神として、常に新たに清浄であること「常若(とこわか)」を求めたため。

・20年に一度行われる大神嘗祭として、式年遷宮が行われるようになった。

・建替えの技術の伝承を行うためには、当時の寿命や実働年数から考えて、20年間隔が適当とされたため。

(※建築を実際に担う大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働き、30歳代から40歳代で中堅から棟梁となり、50歳代以上は後見となる。

このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる)

・神嘗祭に供される穀物の保存年限が20年であるため。

などがあげられます。

 

≪用材≫

遷宮においては、約1万本以上のヒノキ材が用いられます。その用材を伐りだす山は、御杣山(みそまやま)と呼ばれています。

御杣山は、すべて神路山と島路山、高倉山という内宮・外宮背後の山から調達いていましたが、その後、三河国に移り、美濃国に移り、伊勢国・大杉谷を御杣山としています。

しかし、原木の枯渇による伐り出しの困難さから、尾張藩の木曽谷に御杣山は移され、後に大杉谷に戻ったものの、300年以上にわたり木曽谷を御杣山としています。

明治時代には、木曽谷を含む尾張藩の森林は国有化されて、木曽の赤沢をはじめとする地域に神宮備林が設定され、樹齢200年から300年の用材の安定提供を可能とする

計画的植林が行われ始めました。神宮では、森林経営計画を策定し、再び正宮周辺の神路山・島路山・高倉山の三山を御杣山とすべく、三山へのヒノキの植林を続けて

います。遷宮の用材として使用できるまでには概ね200年以上かかるため、この三山の植林から生産された用材が本格的に使用されるのは2120年頃です。

また、この計画は、400年後の2400年頃には、三山からの重要用材の供給も目指す遠大なもので、内宮正殿の御扉木については本来の様式通りに一枚板とするために

は、樹齢900年を超える用材が必要となると試算されています。

式年遷宮の際に解体され旧殿に使用された用材は、神宮内やその摂社・末社をはじめ、全国の神社の造営等に再利用されます。例えば、内宮正殿の棟持柱については宇治橋神宮側

鳥居となり、さらに関の東の追分の鳥居となる習わしがあります。また、外宮正殿の棟持柱は宇治橋おはらい町側鳥居となり、さらに桑名の七里の渡しの鳥居となる習わしがあり

ます。

 

≪山田工作場≫

神宮では、式年遷宮に必要な大量の用材や、屋根用の萱の加工のために山田工作場を外宮敷地内に持っています。場内には、製材所・加工所・加工材木の乾燥倉庫・屋根用の萱

の乾燥倉庫及び加工場・用材を加工まで保存しておく堀や、各工場を結ぶトロッコ軌道などがあります。ここでは常に小規模な社殿の建て替えや修復のために製材が行われていま

すが、正遷宮の前後は多くの伝統技術を持った大工らが全国から集まって来るので、職人用の寮も敷地内にあります。多くの大工に神宮の建築様式を伝承していくのも、山田工作

場が持つ大きな役割であります

 

 

内宮と外宮の両正宮、御正殿など外観は同じように見えて千木の形や鰹木の数が違うなど詳しく知っていくと、次回お参宮される際に細かい気づきが目に入ってきたりします。

また実際には、拝見することが出来ない御正宮の構造や社殿の意味、奉納されているものを知ることによって、さらに神宮のイメージがしやすくなり、もっと身近に感じることが

出来ます。そして長い年月をかけ、伝承し続けている技術や日々続けている神事に思いを巡らせると、感謝の想いが湧いてきて神宮に参宮したいという気持ちと「日本は素晴らし

い」と再認識しますね。

 

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