伊勢神宮を説明する上で、天皇家との関係は切り離せません。伊勢神宮のいわゆる「内宮」の御祭神は、天皇家の御祖神とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)だからです。
そこで今回は、伊勢神宮と天皇との関係についてまとめました。
目次
天照大御神の伊勢鎮座に関わった皇女・倭姫命
三種の神器の一つである「八咫鏡(やたのかがみ)」を携え、伊勢の地へ辿り着いた倭姫命(やまとひめのみこと)という女性がいました。倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女です。
元々、八咫鏡は宮中に祀られていました。しかし、先代の崇神天皇の頃、国内に疫病が流行ります。これが鏡の祟りである、と考えられたのです。そのため八咫鏡は宮中を出て、他の場所に遷されるということがありました。
そして垂仁天皇の世には、より良い地に天照大御神をお祀りしようということになりました。そこで抜擢されたのが、倭姫命でした。倭姫命は各地を巡り、伊勢へとたどり着きます。
すると、天照大御神が「この地に永住したい」と倭姫命に伝えたそうです。これが、いわゆる内宮のはじまりといわれています。
これは神話レベルでの話ですが、天皇家と伊勢神宮の強いつながりがわかりますよね。なお、倭姫命の功績をたたえた、倭姫宮(やまとひめのみや)という内宮の別宮が存在します。
式年遷宮と天武・持統天皇
2013年に行われた第62回式年遷宮ですが、大変盛り上がったことは記憶に新しいと思います。最初の式年遷宮が行われたのは、内宮では690年、外宮ではその2年後の692年です。いずれも、持統天皇の主導の下で行われています。
20年に一度行われてきた伊勢神宮の式年遷宮ですが、制度化をしたのは天武天皇といわれています。第1回式年遷宮を行った持統天皇は、天武天皇のお后です。
また、天武天皇といえば「壬申の乱」が有名ですよね。その途上、大海人皇子(のちの天武天皇)は伊勢を遥拝し、必勝祈願をされたと伝えられています。
斎王とは
天武天皇は伊勢神宮について、式年遷宮の制度だけでなく、「斎王」という制度も創設したといわれています。それ以前にも、その存在があったとはいわれていますが、制度として整えられたのは、天武天皇の世とされています。
斎王とは、伊勢において御祭神の天照大御神につかえた巫女のことです。皇室の未婚女性から選ばれ、斎王は独り身で天照大御神にお仕えします。そして、天皇が崩御したとき、その役割を終えました。
673年、天武天皇は斎王に娘の大来皇女(おおくのひめみこ)を任命しました。すぐ次の持統天皇の世になると、大来皇女が伊勢から連れ戻され、その後12年間も斎王がいない状態がありました。
しかし、698年には再び、斎王が伊勢へと派遣されます。これ以降、南北朝時代まで50名ほどが従事していますが、廃絶しています。
これとは別に、伊勢神宮には「祭主」と呼ばれる神職があります。祭主と斎王はよく間違えられますが、別の存在です。詳しくは後ほどご説明します。
私幣禁断だった伊勢神宮
江戸時代にはいわゆる「おかげ参り」ブームが起き、現在もパワースポットブームにより、伊勢神宮には参拝者が絶えません。
多くの国民から今も愛されている、そんな伊勢神宮ですが実は平安中期頃まで、一般の民衆は参拝することができませんでした。伊勢神宮は皇室の祖神であるため、私幣禁断といって、一般人の奉幣や参詣は禁止されていました。
それどころか、皇后や皇太子といえども、天皇への奏聞を経なければ、祈祷をすることは許されていませんでした。しかし、平安中期以後になると、私幣禁断の制が次第にゆるんでいきました。
祭主とは
先ほど少し書いた、「祭主(さいしゅ)」についてご説明します。祭主とは、伊勢神宮にだけ置かれ、天皇陛下の代わりに伊勢神宮の祭祀を司る職種をいいます。戦後は、皇族出身の女性が就任しています。
祭主は伊勢神宮の頂点で、それを補佐するのは「大宮司」といいますが、こちらも旧皇族もしくは旧華族の出身者が就任することとなっています。
明治維新と伊勢神宮
明治2年3月、明治天皇が伊勢神宮を参拝しました。実は、これはとても画期的な出来事だったのです。
先ほど、私幣禁断の制について触れました。天皇の后や皇太子でさえ、天皇陛下に無断では参拝できなかった―この後に、こんなことを言うと意外かもしれませんが、天皇自身が伊勢神宮を訪れたのは、明治天皇以前では持統天皇だけだったのです。
明治以前は、天皇自身が伊勢神宮を訪れることはタブーとされており、持統天皇が伊勢神宮へ行幸する際にも大反対を受けたといいます。
では、なぜ明治天皇は、それまでタブー視されていた伊勢神宮参拝を行ったのでしょうか。それには、明治新政府側の思惑があったそうです。王政復古を掲げた明治新政府にとって、明治天皇が皇祖神を祀る伊勢神宮を参拝することには、大きな意味があったのでしょう。
戦後の伊勢神宮と天皇
明治時代には「造神宮使庁」という役所が設けられるなど、政府の保護を受けていた伊勢神宮ですが、太平洋戦争終結後、その立場は大きく様変わりしました。昭和28年にGHQよって発せられた神道指令によって、伊勢神宮は一宗教法人となりました。
ですが、今でも天皇家の御祖神を祀っていることに変わりはありません。現在の天皇陛下も、伊勢神宮へ参拝されています。
また、上記で説明した斎王は廃絶してしまいましたが、祭主という存在はまだ残っています。
昭和天皇の四女・池田厚子さんで、職務に関しては臨時祭主の黒田清子さんが代行して務められています。
まとめ
今回は伊勢神宮と天皇の関係についてまとめましたが、いかがだったでしょうか。
伊勢神宮は天皇家の御祭神・天照大御神をお祀りしているだけあり、古代から天皇や皇族が深くかかわってきました。
長い歴史の中で、特に明治時代から戦後にかけて、伊勢神宮を取り巻く状況は目まぐるしく変わりました。ですが、現在でも天皇家と伊勢神宮とのつながりが深いことは変わりません。
そのように神話の世界から今私たちが生きるこの現代まで脈々と繋がっていると考えると、その壮大さ、神秘性を感じざるを得ません。まだ参拝に行かれたことがない方は、それを肌で感じてみるのもいいかもしれませんね。
関連ページ「伊勢神宮と3種の神器」