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伊勢神宮と神楽
江戸時代 庶民の憧れ
御神楽とは、神様に捧げる舞楽のことです。雅楽に合わせ、倭舞(やまとまい)や人長舞(にんじょうまい)などの舞が、感謝と願いを込めて、神様に捧げられます。
年間1500回もお祭りが行われる伊勢神宮では、神様をもてなすため、神饌(しんせん)と呼ばれる神様のお食事とともに欠かせないものとされています。
江戸時代、庶民たちの間で「お伊勢参り」が何度も大流行しました。その陰には、全国に伊勢神宮の信仰を広めた「御師(おんし)」という存在がありました。御師は、今でいう旅行のコーディネーターです。参宮者に対し、案内や世話をするなどの役割を担っていました。
そんな御師の館では、湯立神楽(ゆだてかぐら)という神楽を神に捧げるのが、当時の庶民の憧れでもあったそうですよ。
神楽の発祥の言い伝え
そもそも「神楽」とは、神座(かむくら)が転じたできた言葉です。古くは「神遊び」ともいわれていました。天皇の祖先神とされ、伊勢神宮でも最高神として祀られている天照大御神(あまてらすおおみかみ)ですが、神楽の発祥と深く関係していると伝えられています。
神話「天岩戸」
天照大御神は女神とされ、また太陽を司る神ともいわれています。また、天照大御神の弟は、スサノオノミコトです。出雲国でヤマタノオロチを退治したという神話で有名ですよね。
そんなスサノオが、ある日、大暴れしてしまいます。その乱暴を受けた天照大御神の機織り女が、亡くなってしまいます。それを悲しんだ天照大御神は、天岩戸に籠ってしまいました。
ご存じのとおり、太陽を司る天照大御神が岩戸に引っ込んでしまったことから、世界は暗闇に包まれます。
困った八百万の神々は、天照大御神に岩戸から出てきてもらえるように、あれやこれやと策を練ります。そこで、天鈿女命(あめのうずめのみこと)という神が、服を乱しながら舞います。
その姿を見て、神々は一斉に笑い出しました。その笑い声を聞き、不思議に思った天照大御神が岩屋から出てきます。これで世界がまた、元のように明るくなったという神話は有名ですよね。
この天岩戸の前で天鈿女命が舞ったのが、神楽の発祥だと伝えられています。これを聞くと、「神遊び」といわれていたことに納得できますよね。

鶏鳴三声
ちなみに、この神話では鶏が鳴きますよね。伊勢神宮では20年に一度行われる、式年遷宮の中で、最も重要とされる「遷御の儀」という儀式があります。新しい社殿へと、御神体を遷す儀式です。
その儀式の際には、「鶏鳴三声」という鶏の鳴き声を模した掛け声が唱えられ、儀式がスタートするそうです。この神話がもととなっているのですね。
伊勢神宮で神楽をあげるには
少し話題が逸れてしまいましたが、現在でも伊勢神宮では、外宮・内宮の神楽殿で御神楽をあげることができます。種類としては、御神楽・大々神楽(だいだいかぐら)・別大々神楽(べつだいだいかぐら)・特別大々神楽(とくべつだいだいかぐら)があります。
申込の受付は、毎日8時~16時まで行われており、神楽殿のご祈祷受付に申し出ると、随時執り行われます。祈願の内容を用紙に記入し、もちろん初穂料も支払う必要があります。所要時間は、あげる御神楽の種類により異なりますが、約25分から40分程度だそうです。
※詳しくは、伊勢神宮の公式HPをご覧ください。
お祓いの後、神宮専任の楽師による雅楽が奏でられ、御札・神饌が与えられ、祝詞が奏上されます。また、その雅楽に合わせて、舞女により神宮独特の舞である倭舞や人長舞などが舞われます。
あくまでも、御神楽は神様に捧げるものです。人間が楽しむものではありません。そのため、舞台正面は神座となりますので、御神楽を申し込んだ人は、その舞を背後から見守る形となります。
江戸時代の庶民は、一生に一度、伊勢神宮で御神楽をあげるのが憧れでした―。現代の私たちは、御神楽を1万5千円からあげられるそうです。せっかく伊勢神宮に行かれた際には、申し込んでみてはいかがでしょうか。