今回取り上げるのは「元伊勢」についてです。元伊勢という言葉、耳にしたことがあっても詳しくはご存じない方も多いのではないでしょうか。そこでこの記事では、元伊勢の基本知識についてまとめました。
目次
伊勢神宮は始めから伊勢にあったわけではない
「元伊勢」とは、一言でいうと天照大御神が伊勢へたどり着く前、一時的に鎮座した場所のことをいいます。
現在は、三重県の伊勢市を中心に位置する伊勢神宮ですが、伊勢に鎮座するまで約90年間、その候補地探しが行われていました。
宮中を出された天照大御神
伊勢神宮の内宮では、天皇家の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしています。当時の天皇は、大和国(現在の奈良県)にお住まいでした。そこから伊勢へは、結構距離があると思いませんか?
そもそも天照大御神とその御神体である八咫鏡(やたのかがみ)は、宮中に祀られていました。しかし第10代・崇神(すじん)天皇の時代に、疫病が流行り国民が半減、反逆する者もあらわれてしまいました。
諸説ありますが、これらの災いは八咫鏡の祟りであるとの噂が広まったため、天皇は鏡を皇居から遷し、天照大御神を他の場所へお祀りすることを考えました。
そこで崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)が大和国の笠縫邑(かさぬいむら)に鏡をお祀りすると、疫病は鎮まったといわれています。
次の天皇・垂仁(すいにん)天皇の時代には、垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が鏡をお祀りする役目に任命されます。そして、天照大御神によりふさわしい地を探すため、倭姫命は鏡を携え、各地を巡幸(=各地をまわる)することになったのです。
その途中に天照大御神が一時的に鎮座した場所が「元伊勢」です。
言い伝えによると、伊勢神宮・内宮の鎮座は現在より約2000年前といわれていますが、今でも多くの「元伊勢」といわれる神社が残っています。
内宮だけではない 外宮の元伊勢も
これまでの説明ですと、元伊勢は内宮の鎮座地を探す途中に、天照大御神が仮に鎮座された土地と思われてしまいます。ですが元伊勢には、「内宮の元伊勢」と「外宮の元伊勢」があります。
伊勢神宮の外宮は、内宮より500年遅れて、伊勢の地に鎮座したと伝えられています。第21代・雄略天皇の時代、天照大御神の神託により、豊受大御神(とようけのおおみかみ)が丹波国から招かれたとされています。
そして、豊受大御神が元いた場所も「元伊勢」と呼ばれています。
「元伊勢」は二十数か所も存在する
ということで、「元伊勢」は一か所だけを指す地名ではありません。特に、倭姫命は数多くの地を巡ったことから、その伝承を残す地は近畿地方を中心に二十数か所あるといわれています。一説によると、中国地方にまで及びます。
それらすべてを紹介することは難しいので、有名な神社をいくつかご紹介します。
檜原神社(奈良県桜井市)
疫病を鎮めるため、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命が鏡をお祀りした笠縫邑の場所は、実は特定されていません。ですが、有力といわれる場所はあり、奈良県の檜原神社(ひばらじんじゃ)もその一つです。
こちらの檜原神社は、有名な大神神社(奈良県桜井市)の摂社で、大神神社からは30分ほど歩いたところにあります。檜原神社の境内には、豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)も建てられています。
また笠縫邑の候補地としては他にも、
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笠山荒神社(奈良県桜井市)
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天神社(奈良県桜井市)
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飛鳥坐神社(奈良県高市郡明日香村)
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笠縫神社(奈良県磯城郡田原本町)
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姫皇子命神社(奈良県磯城郡田原本町)
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巻向坐若御魂神社(奈良県桜井市)
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志貴御県坐神社(奈良県桜井市)
などが挙げられています。一時的とはいえ、天照大御神は笠縫邑に33年ほど鎮座されていたそうです。
元伊勢内宮・ (京都府福知山市)
京都にある皇大神社(こうだいじんじゃ)も、内宮の元伊勢伝承が残る神社です。そのため、御祭神は内宮と同様、天照大御神です。こちらの場所には、4年ほどの間、鏡がお祀りされていたと伝えられています。
面白いことに、皇大神社の周辺には「五十鈴川」や「宇治橋」など、伊勢神宮に見られる地名と同様のものが見られます。さらにこちらの神社には、全国で2つしかないといわれている黒木の鳥居があります。
また、皇大神社のそばには豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)があります。現在は外宮でもお祀りされている豊受大御神が、もともと鎮座していた神社といわれています。
皇大神社と豊受大御神は、それぞれ元内宮と元外宮と伝わっているため、こちらの二社を併せて「元伊勢神宮」ということがあるそうです。さらに、皇大神社は天岩戸神社(あめのいわとじんじゃ)という奥宮があり、こちらと先ほどの2社で「元伊勢三社」ともいいます。
籠神社(京都府宮津市)
籠(この)神社の奥宮には、真名井神社という神社があります。現在、外宮に祀られている豊受大御神は、かつてその真名井神社に鎮座されていたとも伝えられています。また、崇神天皇の代になり、天照大御神もこの地へ一時的にお祀りされたそうです。
籠神社は元伊勢というだけでなく、日本最古の系図が出てきた神社としても有名です。その系図は、国宝にも指定されています。
こちらの神社の宮司・海部(あまべ)家の歴史はとても古く、現在では第82代目です。海部家の祖神は、天火明命(アメノホアカリノミコト)といわれています。神話『天孫降臨』で有名な「邇邇芸命(ニニギノミコト)」の兄に当たります。そのことから、海部家は天皇家と繋がりのあることがわかりますね。
その他にも、『かごめかごめ・・・』の曲の舞台は、この籠神社という都市伝説も存在します。いろいろなことに思いを馳せることのできる神社です。
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