伊勢神宮誕生から現在までの歴史

鎮座

 

鎮座とは、神様がその地に鎮まりいることをいいます。

伊勢神宮の内宮では天照大御神が、外宮では豊受大御神がお祀りされています。

それぞれの神様は、どのようにして、伊勢の地に鎮座されたのでしょうか。そのルーツを探っていきます。

 

内宮

 

内宮の鎮座は今から約2000年前、第11代垂仁天皇の時代です。それには、こんな言い伝えがあります。

 

八咫鏡の祟りがきっかけ?

 

先代の第10代崇神天皇の頃、疫病が蔓延し、多くの国民が亡くなってしまうという状況にありました。そこで崇神天皇は、いわゆる「三種の神器」のひとつ、である「八咫鏡(やたのかがみ)」の祟りである、と考えました。

 

崇神天皇は、それまで宮中内に祀っていた八咫鏡を皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託し、笠縫邑(かさぬいのむら)という場所に遷したそうです。
すると、疫病は鎮まり、国は平穏になったといいます。

 

八咫鏡とは、有名な神話「岩戸隠れ」の中に登場した鏡です。天照大御神の御神体ともされています。

 

そして、次の第11代垂仁天皇の世には、天皇の皇女である倭姫命が八咫鏡を携え、大和国から伊賀、近江、美濃を通り、伊勢国へ辿り着きました。その時、風光明媚で海の幸、山の幸に恵まれた伊勢に魅せられた天照大御神は、この地に永住したい、と倭姫命に伝えたそうです。

 

御裳濯川の名前の由来

 

内宮へ向かうと、鳥居の向こうに、美しい五十鈴川の流れが目に飛び込んできます。宇治橋を渡って右側には、五十鈴川の御手洗場があり、こちらで心身を清めてから参拝するといいそうです。
もちろん、手水舎もありますよ。

 

この五十鈴川には、御裳濯(みもすそ)川という別名が付けられています。その名の由来は、大和の国から天照大御神の鎮座の地を探した倭姫命が、この川で衣の裾を濯いだことから付けられたそうです。

 

外宮

 

外宮に豊受大御神が鎮座されるのは、今から1500年ほど前のことです。ということは、天照大御神が内宮に鎮座されてから約500年後ということになります。二つの宮では、鎮座に時間差が生じていますね。実は、それには理由があります。

 

第21代雄略天皇の時、豊受大御神は天照大御神の命により、饌都神(みけつかみ)という食物を司る神として丹波国から招かれたそうです。
天照大御神は、ずっと一つのところにいるのは苦しく、食事も安らかにとれないから、豊受大御神を迎えてほしいと、雄略天皇の夢の中で告げたそうです。

 

それ以来、外宮では毎日朝と夕には、神様にお食事を供えるという日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)を行っています。

 

式年遷宮のはじまり

 

伊勢神宮では20年に一度、社殿や御神宝などを新しくし、神様にお引っ越しいただく「式年遷宮」が行われています。最近では、2013年に行われた第62回式年遷宮が記憶に新しいのではないでしょうか。

 

新宮に神を迎え、「常若」を祈る―。式年遷宮を制度化したのは、7世紀に壬申の乱で勝利した天武天皇です。天武天皇は、『古事記』『日本書紀』の編纂を命じたり、三種の神器を制定するなど、かなり伊勢神宮との関係が深い人物であることがうかがえます。

 

第1回目の式年遷宮は690年、天武天皇の遺志を継いだ、妻の持統天皇の世に執り行われることになります。

 

戦乱と伊勢神宮

 

時代が下り、世は乱世となります。いわゆる「南北朝の動乱」に、伊勢神宮の神職たちは大きく関わっていました。北朝は、足利尊氏が光明天皇を擁してできあがった皇室、一方南朝は、奈良の吉野を拠点とする後醍醐天皇を中心とした皇室でした。こういった状況の中で、内宮の神主は北朝側へ、外宮の神主は南朝方につくことになります。

 

1441年に起こった嘉吉の乱は、さらなる影響を伊勢神宮に及ぼします。その結果、ついに1434年を最後に、内宮では124年、外宮では130年間という期間におよび、それまで続いてきた式年遷宮を中断せざるを得なくなったのです。

 

御師の登場とおかげ参りブーム

 

いつの時代も、世の中に不安が蔓延すると、神様の力を借りたいという人々が多くなります。そこに目をつけたのが、「御師(おんし)」たちです。

 

御師とは伊勢神宮の下級神職で、参詣者の案内や宿泊を生業とした人のことをいいます。現在でいうところの、旅行代理店のような存在です。
伊勢神宮以外では「御師」と書いて「おし」と読みます。鎌倉時代頃から活躍したそうです。

 

伊勢神宮は元々「私幣禁断」、すなわち個人的な祈願を禁じ、国家祭祀・皇室祭祀のみを行うという特別な神社でした。

 

しかし、御師は個人の祈願を受け付け、神宮大麻を配布するようになりました。それがきっかけで、江戸時代には庶民の間に、いわゆる「おかげ参りブーム」が巻き起こります。

 

御師は明治時代、制度そのものが廃止されることとなってしまいますが、国民の間に伊勢信仰を拡大する、大きな担い手となりました。今でも伊勢には「御師の館」が残されています。

 

日本人の総氏神から一宗教法人へ

 

明治時代に入ると、新政府により、伊勢神宮に対しても様々な改革がなされました。造神宮使庁という役所が設けられ、さらに式年遷宮は国家の盛儀としての位置づけとなりました。昭和4年に行われた式年遷宮などは、国民の休日ともなったそうです。

 

しかし、太平洋戦争終戦後には、状況がまた大きく変わります。GHQの政教分離政策によって、伊勢神宮は一宗教法人となります。

 

伊勢神宮は今でも多くの観光客が訪れています。また、2016年には伊勢志摩サミットが行われ、各国の首脳たちが参拝するなど、世界的からも注目を集める存在となっています。

 

 

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