普段、なんとなく神社にお参りに行っているという方も多いかもしれません。ですが、ご祭神について知ってから参拝すれば、さらに楽しめるはずです! そこで今回は、宗像大社のご祭神・宗像三女神についてご紹介していきます。
目次
宗像三女神について
宗像三女神をご祭神としている神社は、全国に数多く存在します。有名どころで言うと、神奈川県の江ノ島神社や広島県にある厳島神社などもそうですよね。そして福岡県に鎮座する宗像大社こそ、それらの神社の総本社と言われているんです。
宗像大社の3か所で祀られるご祭神
よく「宗像大社」という神社の名称を耳にしますが、単体で宗像大社と呼ばれる神社は存在しません。(1)沖ノ島にある沖津宮(おきつぐう/おきのみや)(2)大島にある中津宮(なかつぐう/なかつみや)(3)宗像本土にある辺津宮(へつぐう/へつみや)という三つのお宮の総称し、「宗像大社」というのです。
ただし「宗像大社へ参拝に行く」というと、一般的には九州本土にある辺津宮へ行くことを指します。
さて、このように大きく三つに分かれている宗像大社ですが、それぞれのお宮では別々の神様をお祀りしています。
- 沖津宮:田心姫神(たごりひめのかみ)
- 中津宮:湍津姫神(たぎつひめのかみ)
- 辺津宮:市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
上記の三柱をあわせて「宗像三女神」と呼びます。この3女神は姉妹で、たいへんに美しい神様として知られているんですよ(詳しくは4.(ウ)参照)。
宗像三女神はこうして生まれた
宗像三女神の誕生については、日本最古の歴史書と言われる『古事記』の中に登場するそうです。現在の皇室の祖先神アマテラスオオミカミ(以下、アマテラス)と、その弟であるスサノオノミコト(以下、スサノオ)の対決がきっかけでした。
① スサノオ追放される
イザナキノミコト(以下、イザナキ)は、三柱の子どもたちにそれぞれ仕事を任せていました。アマテラスは高天原(たかまのはら)(※1)、ツクヨミノミコトは夜の世界、スサノオは海原を治めなさいと告げられていたのです。
※1 高天原とは日本神話で天上の世界のことで、多くの神々が住んでいた場所とされています。
しかしスサノオは海原を治めることはせず、すでに亡くなっていた母に会いたいと泣いてばかりでした。これを見かねた父イザナキは、スサノオを追放してしまいます。そこでスサノオは姉アマテラスに事情を伝え、それから退散するつもりでいました。
高天原にいるアマテラスに会いに行ったスサノオでしたが、アマテラスには警戒されてしまいます。きっとこの国を奪いに来たに違いない、とアマテラスは考えたのです。これに対してスサノオは事情を話しますが、それでもアマテラスは信用してくれません。
② 誓約で身の潔白を証明
そこでスサノオは身の潔白を証明するため、誓約(うけい)をして子を生むことを提案しました。誓約とは占いのことで、この場合、お互いの物を交換してそこから生まれた子(神話なのでこれで子が生まれます)が女神であればスサノオに邪心はないと判断するということです。
アマテラスはスサノオの剣を受け取ると、そこから宗像三女神の三柱が生まれました。スサノオの剣から三女神が生まれたので、スサノオの潔白は証明される形になったのです。
宗像三女神に下された神勅
このよう誕生した宗像三女神は、アマテラスから次のような神勅を授けたとされています。
「道中(みちのなか)に降居(くだりま)して天孫(あめみま)を助け奉(たてまつ)りて天孫に祭(いつ)かれよ」
意味:道中に降り、天孫(=天皇)を助け、天孫から祭祀を受けなさい
道中というのは九州から朝鮮半島に向かう古代の海路のこと。宗像は外交・交易上、さらには防衛の上でも非常に重要な場所だったのです。
この神勅を受けた宗像三女神は宗像の地に降臨し、現在の地に鎮まりました。そして日本の繁栄だけではなく、元寇や日本海海戦、太平洋戦争などの多くの戦いもこの地で見届けてきたことでしょう。
最も高貴な神だった
さて、このようにして宗像の地に降臨したとされる宗像三女神。またの名を「道主貴(みちぬしのむち)」といいます。あらゆる道をお導きくださる神様という意味です。
『日本書紀』の中にそう記されているそうですが、ここから宗像三女神は非常に格式の高い神様であることがうかがえるのです。
なぜなら「貴(むち)」とは最も高貴な神に贈られる尊称であって、簡単に付けられるものではありません。他に貴が付く神様は、以下の二柱のみとなっています。宗像三女神はいかに篤い信仰を受けてきたのかがわかりますよね。
- 大日靈貴(おおひるめのむち)=アマテラス
- 大己貴(おおなむち)=出雲大社に祀られている大国主命(オオクニヌシノミコト)
田心姫神とは
ここからは、宗像三女神の一柱ずつ見ていくことにしましょう。
田心姫神(たごりひめのかみ)は三女神の長女(※2)。他にも多紀理比賣命(たぎりひめ)や奥津島比売命(おきつしまひめ)などという名前を持っている神様です。多紀理比賣命という名は海上の霧を表すとされ、そこから航海の安全の神様として知られています。
※2 諸説ありますが、この記事では宗像大社がHPに書かれている順番でご紹介しています。後述する他の二柱についても同様です。
沖津宮でお祀りされている田心姫神ですが、嫉妬深いとも言われており、女性が沖ノ島へ上陸できないのはそのせいだとされています(※3)。そんな田心姫神ですが、神話の中では大国主命と結婚しているそうです。
※3 諸説あります。
湍津姫神とは
次女の湍津姫神(たぎつひめのかみ)は多岐都比売命・田寸津比賣命などと表記されることがある神様です。その名前は海が激しく「たぎる」ことから来ているのはないかと言われています。やはり航海の安全の神様です。
市杵島姫神とは
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)は宗像三女神の末っ子。市寸島比売命や狭依毘売命(さよりびめのみこと)といった名前も持っている神様です。他の二柱と同じく、海を司っています。
ただしこちらの神様は少しややこしくなっていますので、その理由について順を追って説明しますね。
神仏習合について
神仏習合をご存知でしょうか。日本の神様と仏教の仏が結びついた信仰のことをいい、8世紀頃から明治新政府が「神仏分離」をすすめるまで続きました。例えば神社の境内にお寺(=神宮寺)が建立されたり、神前でお経が読まれたりしていたのです。
インドの神様サラスヴァティ
さて、仏教は中国から日本に伝わりましたよね。ですが、もとをたどれば仏教発祥の地・インドに行きつきます。そのため日本に伝来した仏教は、インドの影響も受けているということです。
インドにはサラスヴァティという川の神がいました。その神様が仏教に入り、仏教は中国へと伝わりました。そしてその神様は、日本では七福神の弁財天(弁天様)として親しまれるようになりました。
弁財天と同一視された
日本に入って来た弁財天はやがて神仏習合により、市杵島姫神と同一視されるようになりました。川と海、性質が似ていたことがその理由と考えられているようです。
先ほど宗像三女神は美しい神様とご紹介しましたが、市杵島姫神は美しかったと書かれた記録はないそうです。ただ、川の流れの美しさから美の神様となった弁天様と結びついたことで、市杵島姫神をはじめ三女神も美しい神とされたのではないかと考えられます。
また弁天様と同一視されることによって、市杵島姫神の御神徳も増えていきました。現在では航海安全だけでなく、音楽・芸能・学問・金運などのご利益が期待できるのだとか!
さらに瀬織津姫命(せおりつひめ)(※4)とも同一視される場合もあるそうなのですが、真相はよくわかっていないので今回は省略しますね。
※4 瀬織津姫命は大祓詞(おおはらえのことば)に登場する謎の多い神様です。水に関係する神様だと考えられています。
秋のみあれ祭
毎年10月1日、宗像大社では秋の大祭に先立って「みあれ祭」が行われています。こちらは沖津宮と中津宮から辺津宮へと、神様をお迎えする神事です。普段は別々にお祀りされている宗像三女神ですが、この日は一堂に会するということですね。
この日は宗像市内の漁師さんたちが一切の漁をやめ、約200隻の大船団をつくってパレードに参加しています。その勇壮な姿を見ようと、毎年多くの観光客が訪れているんですよ!
最後に
今回は宗像三女神についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。一柱でも良いので神様について知っておくと、色々な知識と繋がっていきます。神社の入口付近には、ご祭神やその神社の縁起について書かれているはずです。参拝する前に、そちらをチェックしてみてください。きっと今までよりも神社が楽しめるはずです!
【参考】
宗像大社
「御祭神と由緒」
http://www.munakata-taisha.or.jp/html/gosaijin-yuisyo.html
「三姉妹の女神“宗像三女神”」
http://www.munakata-taisha.or.jp/pr/munakata_sanjojin.html
『神社のおへそ』
「須佐之男命、追放される」
「天照大御神と須佐之男命の対決」
NHK趣味どきっ!「第2話 江ノ島神社」
産経WEST
「大国主命(4)各地の女神を妻に 天津神の子“一寸帽子”も協力、国造り」
http://www.sankei.com/west/news/150227/wst1502270039-n1.html
「漁船200隻集結の迫力…世界遺産・宗像大社の「みあれ祭」 玄界灘で豊漁祈願 」
http://www.sankei.com/west/news/171001/wst1710010052-n1.html