海の正倉院、沖ノ島の「神宝館(しんぽうかん)」についての紹介

神の宿る島・沖ノ島は、「海の正倉院」との異名を持ちます。奈良の正倉院には約9,000点もの宝物がありますが、沖ノ島からはなんと約10万点とも言われる宝物が出土しているからです。そして、そのうちの8万点が国宝に指定されています。

ですが沖ノ島は女人禁制、そして男性であっても一般人が入島する機会というのは限られています。じゃあ、せっかくの宝物も見に行けないじゃないか!?いえいえ、そんなことはありません。それらの宝物は沖ノ島とは別の場所に展示されているので、誰でも見に行くことができますよ。

ということで今回は、宝物が展示されている「神宝館(しんぽうかん)」についての情報をご紹介していきます。秘宝館ではありませんよ。

目次

神宝館のアクセス情報など

辺津宮の境内にある神宝館

沖ノ島は玄界灘に浮かぶ絶海の孤島ですが、神宝館は九州本土にある宗像大社辺津宮の境内にあります。営業時間は9時から16時30分まで(最終入館は16時まで)となっていますので、一通りお参りをした後に訪れてみてはいかがでしょうか。

また年中無休ですので、初詣の際などにも寄れますね。なお、展示替え作業などがある場合には、一部の展示品が見られないことがあります。あらかじめ公式HPで確認していくと良いでしょう。

神宝館の入場料

料金は以下の通りです。なお、幼児は無料となっています。

  • 大人:800円
  • 高校・大学生:500円
  • 小中学生:400円

※20名以上もしくは満65歳以上の方などは、1人当たり200円引きで入館できます。該当される方は、証明できる手帳等をお持ちください。

神宝館の見どころ

神宝館には数多くの宝物が収蔵・展示されています。そこで、そのなかでも特に見ごたえのある品について、いくつかご紹介していきます。

新羅で作られた金製指輪

5世紀頃のものとみられる金製指輪は、かつて朝鮮半島にあった国・新羅(しらぎ)で作られたものだそうです。純金で作られているので今もなお美しく輝いており、花と円の模様があしらわれた精巧な作りをしています。国宝に指定されている品です。

神宝館を訪れた方のブログを見てみると、実際にこちらの指輪を目にして感動される方が多いようです。

三世紀の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)

3世紀頃のものとみられる鏡です。こちらも国宝に指定されています。鏡の裏には中国の神話に登場する神仙・霊獣が文様として描かれています。さらに縁の断面が三角形になっているので、三角縁神獣鏡と名付けられています。

三角縁神獣鏡というのは、ヤマト政権を表すものだそうです。これが沖ノ島から出土したということで、ヤマト政権による国家的祭祀が行われていたことが判明したそうです。

世界に一つだけの金銅製龍頭(きんどうせいりゅうとう)

金銅でできた一対の龍頭は、壁画に残されているものはありますが、実際に出土したものはこちらだけと言われています。これは祭礼の際、旗先の飾金具として使用されていたものだそうです。世界に一つしか存在していないものなので、もちろん国宝となっています。

 清盛の日宋貿易を支えていたことがわかる宋風狛犬

さて、神宝館には沖ノ島から出土した品ばかりではなく、中世に関する資料なども展示・保管されています。例えば、国の重要文化財に指定されている『宗像神社文書(もんじょ)』や石の中に仏像が彫られた『阿弥陀経石(あみだきょうせき)』などもあります。

これらは宋からの渡来品です。宋との交易といえば日宋貿易・・・日宋貿易といえば歴史の教科書で習った通り、平清盛が行っていたイメージがありますよね。ですが実際には、当時平家の支配下に入っていた宗像氏が、日宋貿易にも大きく関わっていたことを示しています。

そういった物の中でも注目したいのは、宋風狛犬です。こちらは1201年に奉納されたものだそうですが、江戸時代まで実際に境内に飾られていたそうです。通常、神社でよく見かける狛犬とは違い、ポップな印象も受けます。

特別展も開催

以上の宝物は、いずれも神宝館で常設展示されているものです。他にも神宝館特別展が催されることがありますので、チェックしてみてくださいね。過去には宗像大社所蔵している三十六歌仙図扁額の特別公開や御祭神へ奉納された刀の展覧会なども開かれています。

一木一草一石たりとも持ち出しを禁ずる…のになぜ?

古くから沖ノ島にはこんな厳しい掟がありました。「一木一草一石たりとも持ち出しを禁ずる」というものです。その掟は現在でも守られ、それにより沖ノ島は太古のままの姿を保ってきたのです。

掟を破ってまで発掘調査が行われた理由

ですが、ここで疑問が湧きますよね。何万点という宝物が島から持ち出されて、宝物館まで建ててしまっているではないか、と。確かに、発掘作業が行われたときには激論があったそうです。

しかし、当時の日本は戦争が終わって間もない頃でした。そこで日本人は古来より素晴らしい民族であることを再確認してもらいたいという願いによって、調査は続けられたといいます。自信をなくしていた当時の日本人にとって、沖ノ島の宝物は希望の光となっていたことでしょう。

支援したのは「海賊と呼ばれた男」出光佐三

では、沖ノ島の発掘調査の費用を負担したのは誰だったのでしょうか。それは小説「海賊と呼ばれた男」のモデルにもなった出光興産の創業者、出光佐三(いでみつ・さぞう)でした。宗像市出身で地元を愛した出光佐三は、沖ノ島の発掘費用だけでなく、宗像大社の社殿改修についても支援しています。

神社に多くの寄付をした場合、境内のどこかに名前が記されるものですよね。ところが出光佐三は、一切自身の名前を出していないのです。目立つことを嫌った彼は、記念碑の建立も頑なに拒否したそうです。

それから何十年と経ち、2016年には「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界文化遺産に登録されました。これは私財を投じて宗像大社を復興した出光佐三なくしては、実現しなかったとも言われています。

最後に

今回は、宗像大社辺津宮境内にある神宝館についてご紹介しました。あえて掟を破ってまで、神の宿る島から持ってこられた宝物です。文字通り日本人の心を支えてきた「国宝」を、是非ご自身の目で確かめてみてください。

【参考】

トップ画像引用:宗像大社公式HPhttp://www.munakata-taisha.or.jp/html/shinpoukan.html

  • 歴史秘話ヒストリア「沖ノ島 ~日本 はじまりの物語~」 11.03放送
  • 宗像大社「神宝館」

http://www.munakata-taisha.or.jp/html/shinpoukan.html

  • 宗像大社「宗像大社辺津宮」

http://www.okinoshima-heritage.jp/visit/hetsumiya

  • 宗像観光ガイド(宗像観光協会)

http://www.muna-tabi.jp/k006/010/020/020/030/20150203102624.html

  • 『日本史用語集』全国歴史教育研究協議会
  • 『まるっと宗像・福津』文榮出版社
  • RKB「宗像・沖ノ島 大国宝展」

http://rkb.jp/daikokuhou/

  • 産経WEST「「海賊とよばれた男」の“もう一つの顔”-出光佐三、荒れ果てた故郷の神社を私財投じて復興、有力世界遺産候補に」

http://www.sankei.com/west/news/170116/wst1701160001-n1.html

  • 宗像市「世界遺産への道57 ≪宗像大社辺津宮の境内(古代・中世編)≫」

http://www.city.munakata.lg.jp/w010/030/020/040/0060/20150317113705.html