伊勢神宮に関する噂や伝説!その真相とは?

とにかく長い歴史を持つ伊勢神宮ですので、

謎 言い伝え 都市伝説 噂

のような話が数多く存在します。

中には、それがさも当たり前のようになっていることもあります。

 

そこで今回は、それらを疑ってみると浮き上がってきた説、

さらには伊勢神宮をめぐる意外な事実についてご紹介していきたいと思います。

 

伊勢神宮ではお願い事をしてはいけないというのは嘘?

 

ネットで伊勢神宮について調べていると、

「伊勢神宮で個人的なお願いはしてはいけない」

という情報を目にしたことはありませんか?

実はこの情報、否定する気はないのですが、正確ではないと個人的には思います。

 

私幣禁断は過去の話

 

確かに、伊勢神宮は元々「私幣禁断(しへいきんだん)」とされていました。

私幣禁断とは、個人的なお願いは禁止という意味です。

 

では、何のために伊勢神宮は存在していたかというと、

国家の平安や皇室の繁栄を祈るためでした。

他の神社とは全く異なる、特別な神社であったことがわかりますよね。

 

ですが、時代が下るにつれ、そのルールは緩くなっていきました。

中世頃になると、御師(おんし)と呼ばれる伊勢神宮の神職たちが、

伊勢信仰を広めるために全国を渡り歩きました。

 

その際、彼らは個人の祈祷を受け付けたり、

神宮大麻(じんぐうたいま)と呼ばれる御札を配ったりするようになりました。

伊勢神宮の神職自らが、個人的なお願いを解禁したのです。

その結果、江戸時代には「おかげ参りブーム」が到来します。

 

その後、再び伊勢神宮が、私幣禁断のルールを明確に示したこともありません。

ですので、現在も個人的なお願いをしても、何ら問題がないことだと、私は思っています。

 

内宮の荒祭宮でお願い事をすると良いという噂

 

個人的なお願いが禁止されているどころか、

伊勢神宮の中に「ここは利益が大きい!」といわれるお宮すら存在します。

それは、内宮の敷地内にある荒祭宮(あらまつりのみや)です。

荒祭宮の御祭神は、天 照 大 御 神 荒 御 魂 (あまてらすおおみかみのあらみたま)です。

長いですね。そして、それが何だとお思いでしょう。

 

古代の人々は、神様の魂には4つの状態があると考えていました。

その4つとは、

「和魂(にぎみたま)」

「荒魂(あらみたま)」

「幸魂(さきみたま)」

「奇魂(くしみたま)」

です。そのうち、幸魂と奇魂は、和魂に含まれます。

 

すなわち、大きく分けると、神様には「和魂」と「荒御魂」があるということですね。

そして和魂とは、穏やかな働きをいい、成長した大人を表すそうです。

 

これに対して、荒御魂は荒々しく、若い力を持つとされています

若いということから、力が強く、御利益も大きいといわれています。

地元の方も、ここぞという時には、この荒祭宮でお願い事をするそうです。

 

ということで、伊勢神宮で個人的なお願いは完全にNGとは言いにくいですよね。

個人的には、御師が個人の祈祷を受け付けたことが、大きいと思います。

 

外宮は内宮に遠慮しているというのは本当?

 

伊勢神宮をめぐる言い伝えや伝説はいくつもありますが、

「外宮は内宮に遠慮して、社殿の堅魚木(かつおぎ)の数が内宮より1本少ない」

というのも、その一つです。内宮の堅魚木は10本、外宮は9本です。

 

内宮に遠慮して堅魚木の数が1本少ないという言い伝え

 

まず堅魚木とは、神社の本殿などの棟木の上に並べられた装飾の木材のことです。

形がかつお節に似ているため、「カツオギ」と呼ばれています。

 

では、なぜ外宮は内宮に遠慮する必要があるのでしょうか。

それには、それぞれの成立の歴史が関係しています。

 

伊勢神宮の内宮は、

今から約2000年前、天照大御神が五十鈴川の畔に鎮座したのが始まり

といわれています。

 

他方で外宮はそれから500年後、天照大御神が一人で一所にとどまっているのは寂しいと、

当時の天皇の夢枕に立ったのがきっかけで創建されたという伝説があります。

ということで、

外宮は内宮の御祭神・天照大御神をお世話するために存在しているといえます。

 

 

そこで、外宮は内宮に遠慮しているので、

堅魚木が1本少ないといわれると、確かにそうかもしれないと納得ができます。

 

ただ、建物の長さ(内宮10.9m・外宮9.1m)に起因した本数の違いとも考えられています。

外宮の堅魚木が1本増えると、かなり密な印象になってしまうそうです。

 

人間界の内宮VS外宮 バチバチ時代

VS

先ほどの、鎮座の言い伝えを聞くと、

さも外宮はずっと内宮の下に位置して来たと思わざるを得ません。

しかし、かつては内宮と外宮の間には、激しい対決がありました。

 

元々は、内宮と外宮の関係は安定していました。

しかし中世に入ると、次第に外宮が力を持ちはじめ、両宮の力が拮抗してきます。

それだけではなく、内宮と外宮は公然とにらみ合いをはじめます。

 

教義的な対立

 

外宮の御祭神は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)です。

先ほども少し触れましたが、天照大御神が一人では寂しいという理由で、

丹波の国から招かれた神様です。

それ以来、外宮は内宮より「下位」に位置付けられていました。

しかし

外宮は、豊受大御神が天照大御神を超える神であると、唱え始めました。

その背景には、外宮側の豊かな財力・人気がありました。

 

時には暴力沙汰になることも

 

内宮と外宮は、教義的な対立ではとどまらず、

時に暴力沙汰・流血事件にまで及んでいます。

室町後期には両宮の御師たちは、「やられたらやり返す」という体質であったといいます。

そのため、実力行使も厭いませんでした。

 

たとえば、1486年には内宮側と国司の兵が外宮側へ攻め入りました。

その結果、追い詰められた外宮側は、外宮の正殿に火を放って応戦したといわれています。

この時、外宮正宮の瑞垣内で、なんと自刃した人もいたそうです。

 

清浄である神社、その中でも最も神聖とされる伊勢神宮で、

血が流れたとは驚きですよね。

このように、人間界においては、外宮は内宮に遠慮するどころか、文字通り刃向かっていたのですね。

 

式年遷宮 当初は20年に一度ではなかった?

 

穏やかでないので、話題を変えます。

 

伊勢神宮では20年に一度、社殿・御神宝・調度品をすべて新しくし、

神様にお引っ越しをしていただくという、

式年遷宮が行われていますよね。

最近では、2013年に式年遷宮が行われ、たいへん話題となりました。

 

「20年に一度」、それは昔からずっとそうであるとお思いではないでしょうか。

実はそれはある意味正しく、ある意味で不正確です。

 

確かに古い歴史の資料には「20年に一度」と書かれていました。

しかし、それは数え年であり、現代の数え方ですと、

「19年に一度」という意味です。

また、当時は内宮・外宮が同時に遷宮をするわけではなく、

内宮の2年後に外宮の遷宮が行われていました。

 

なお、現代と同じ意味で「20年に一度」になったのは、

江戸時代の1629年、第43回式年遷宮からといわれています。

 

まとめ

 

今回は、伊勢神宮に関する驚きの説について、ご紹介しました。

中には伝説や言い伝えがそのまま定着し、当たり前のことだと思われていたこともあったかと思います。

 

伊勢神宮には、まだまだ伝説や言い伝えがたくさんあります。

さも当たり前となっていることをもう一度疑ってみると、楽しい発見がありそうですよね。

 

 

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