なぜ沖ノ島は「神宿る島」と言われるようになったのか

2017年7月、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が世界文化遺産に登録されました。登録された構成資産はすべてで8つあり、どれもが古代に行われた国家的祭祀にまつわる場所となっています。

そして、それらの資産の根源とも言うべき場所が「神宿る島」と呼ばれる沖ノ島です。なぜ沖ノ島は「神宿る島」と言われるようになったのでしょうか。昔の人びとは、“あること”のために沖ノ島で祈りをささげていたのです。そこで今回は、沖ノ島への信仰の起源について簡単にご紹介していきます。

目次

沖ノ島から出土した宝物から見えてくるものとは

 沖ノ島は大変珍しい遺跡だった

沖ノ島をはじめとする遺産群が世界文化遺産に登録された理由の一つに、世界でも珍しい遺跡であるということが挙げられます。

沖ノ島は周囲およそ4kmの小さな島ですが、古代の祭祀の変遷がひとつの島を見ればわかるという、大変珍しい場所なのです。こういった遺産は、日本国内だと沖ノ島しか存在しないと言われているようです。

タイムカプセルのように保存された理由

そんな沖ノ島には昔から“一木一草一石たりとも持ち出してはならない”という厳しい掟がありました。忠実にそれが守られてきた結果、沖ノ島には太古のままの姿が残されることになったのです。島全体が、まるでタイムカプセルのようです。

東アジアとの交易が行われていた証拠の数々

そして昭和に入り、学術調査が始まりました。すると島内からは約10万点もの奉献品が見つかったのです。そのうち、なんと約8万点もの出土品が国宝に指定されました。

出てきた宝物は例えば、金製指輪です。精巧な作りが施されており、朝鮮半島でも良く似たものが発掘されているそうです。またペルシャガラスなども出てきています。これはシルクロードを経て、当時の日本にもたらされたものだと考えられています。

これらの出土品から、当時の日本は朝鮮半島や東アジアとの交易が盛んであったことがうかがえます。

誰が祭祀を行っていたの

さらにはこんなものも出土しています。歴史の教科書にも出てきた「三角縁神獣鏡」です。三角縁神獣鏡はヤマト政権のものということを表していて、沖ノ島でヤマト政権がいわゆる国家的祭祀を行っていた証拠だと言われています。

沖ノ島が「神宿る島」となった理由

東アジアと交易をした理由「鉄」

では、なぜ当時の日本は東アジアとの交易を行う必要があったのでしょうか。その理由の一つは、鉄を手に入れるためでした。鉄は青銅よりも強度があるため、武器などに用いるにはうってつけの金属でした。

ですが当時はまだ、日本国内で鉄を作ることは難しかったそうです。そこで当時の日本人たちは、はるばる朝鮮半島まで良質の鉄を求めに行ったのです。

航海は命懸け 神に祈ることに

そういえば学生時代、古びた鉄剣の写真が教科書に載っていませんでしたか?古代の有力者が所有していたものです。当時の私は「それがどうしたのだろう?」と思っていたのですが、実は鉄を持っていること自体がすごいことだったということですね。

海を渡ることは命懸けです。しかし、わざわざ多くの命を危険にさらしてまで、当時の人びとは鉄を手にしたいと考えていたようです。そこで無事に海を渡れるよう、神に祈りを捧げるようになりました。そこで祭祀を行う場として選ばれたのが沖ノ島でした。

畿内⇔朝鮮半島 最短ルート上に沖ノ島があった

では、なぜ沖ノ島が航海安全を願う場になったかというと、地理的な条件がその理由です。近畿にあったヤマト政権が朝鮮半島へ向かう最短のルート上に、沖ノ島が存在していたのです。絶海の孤島である沖ノ島が選ばれた理由は、そういうことだったのですね。

朝鮮半島にも似たような場所があった

なお、朝鮮半島側にも同様の祭祀が行われたという場所があるそうです。そして、そこからは当時の日本人が作ったと考えられる品が出てきています。海を渡るときには、日本人はそこでも航海の安全を祈っていたのでしょう。

現在もなお続く沖ノ島信仰

沖ノ島では国家的な祭祀が行われなくなった後も、自然崇拝から宗像三女神(※)に対する信仰が生まれ、その周辺地域では沖ノ島への信仰が続いています。現地を訪れる予定のある方は、現在も信仰を守り続ける人々の心にも触れてみてはいかがでしょうか。

※天皇家の祖先とされている天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子神のことです。田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の三柱をいいます。田心姫神は沖ノ島の沖津宮、湍津姫神は大島の中津宮、そして市杵島姫神は本土の辺津宮にお祀りされています。

最後に

今回は沖ノ島信仰の起源を簡単にご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。私はこの記事を書いてみて、古代の日本に伝わった文化はいかに重いかということに、気づくことができました。そこにはきっと多くの人の犠牲があったのかと思うと、今日まで伝わってきたことが嬉しく思えました。

【参考】

宗像大社HP

http://www.okinoshima-heritage.jp/

http://www.okinoshima-heritage.jp/know/ritual

http://www.okinoshima-heritage.jp/know/tradition

http://www.munakata-taisha.or.jp/html/gosaijin-yuisyo.html

歴史秘話ヒストリア「沖ノ島 ~日本 はじまりの物語~」 2017.11.03放送