宗像神社の世界文化遺産登録に大きな影響を与えた出光佐三とはどんな人物だったのか

2017年7月、宗像大社を含む「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界文化遺産に登録されました。世界遺産に登録されるということは簡単なことではなく、地元の方以外にも、多くの人びとの努力がそれを実現させたのです。

その中でも「彼の支えがなければ世界遺産の候補には選ばれていなかった」と言われる人物がいます。それは出光興産の創業者・出光佐三(さぞう)【1885~1981】です。すでに亡くなっているこの人物が、世界遺産登録にあたって取り上げられる理由は何なのでしょうか。

出光佐三とはどんな人物?

出光佐三は、小説「海賊とよばれた男」のモデルとなったことでも知られるようになりました。映画ではV6の岡田准一さんが演じた人物ですね。さて、出光佐三が宗像大社に何をしたのかを説明する前に、出光佐三はどのような人物だったのか、簡単にご紹介していきます。

出光興産を創業

出光佐三は明治18(1885)年、福岡県宗像郡赤間村(現宗像市赤間)に生まれます。佐三は神戸高商(現神戸大学)を卒業し、酒井商会という個人商店に丁稚(でっち)として入ります。

明治44(1911)年には資産家・日田重太郎の援助により、出光商会(現出光興産)を開店させました。そして出光興産は太平洋戦争の戦前・戦後と、急激な成長を遂げます。これも佐三の経営手腕によるところです。

日章丸事件

昭和28(1953)年、出光が世界中を驚かせたのが「日章丸事件」です。当時のイランは、イギリスと石油権益を争っていました。そこでイランに対抗するために、イギリスは中東に艦隊を派遣、経済制裁にも打って出たのです。一方イランは打撃を受けた経済を回復させるため、石油の輸出先を求めていました。

ですが、こういった状況で積極的にイランから石油を輸入したがる会社などありません。イタリアの船が買い付けに行ったことがあったそうですが、結局はイギリス海軍にだ捕されてしまいます。しかし出光は慎重に情報を収集、ついにイギリスの目をかいくぐって石油を輸入することに成功したのでした。

人間尊重・大家族主義

出光佐三といえば、有名なのが「人間尊重」「大家族主義」といった独自の経営理念です。それを体現した有名な逸話があります。

太平洋戦争敗戦によって、主力だった海外事業が立ち行かなくなり、従業員の大量解雇やむなしと幹部たちが考えていた頃です。ですがそんな中、出光佐三はこう言ったといいます。

「馘首(かくしゅ)してはならぬ」―、馘首とは解雇のことです。従業員たちの雇用を確保するため、佐三は奔走しました。それは農業や漁業、醤油の製造にまで及んだそうです。このように従業員を大切にする出光興産ではかつて、定年・解雇、さらには出勤簿もなかったそうですよ。

出光佐三氏と宗像大社

出光佐三は、幼いころから宗像大社を崇敬していたと言われています。昭和12(1937)年、佐三が宗像大社に参拝に訪れたところ、神社の荒廃した姿を目の当たりにし、心を痛めたそうです。

宗像神社史の編纂

そこで宗像大社再興のため、出光佐三を中心とした宗像神社復興期成会が結成されます。佐三自身も初代会長に就任しました。そして再建のために活動していく中で、政府高官から神社史の作成を勧められたのです。

それを受け、佐三たちは資料の収集・調査・編纂作業に当たりました。戦争によって、一時的に作業は中断されましたが、昭和36(1961)年に上巻、その後下巻と附巻が完成します。

沖ノ島の学術調査

神社史を編纂していく中で、沖ノ島の学術調査が必要となりました。実はそれまで沖ノ島に関することは、あまり良くわかっていなかったそうです。そこで昭和29(1954)年、初めての調査が行われました。

その調査の結果、4~9世紀のものとみられる祭祀の跡と大量の宝物が発見されます。出光佐三が、沖ノ島が“神宿る島”であることを明らかにしたと言っても過言ではないようです。なお、この時発掘された宝物は約8万点、そのほとんどが国宝に指定されました。現在では、宗像大社辺津宮境内にある神宝館で見ることができます。

名を残さぬ美学

出光佐三が宗像大社再建のために費やしたのは、約30年という時間と数十億という私財でした。沖ノ島の調査費用の他にも、辺津宮本殿の修復工事や神宝館の建設などにも援助を行ったといいます。

このように、出光佐三は宗像大社に多額の寄進を行ったにもかかわらず、境内にはその名前は残されていません。宗像大社側は名前を残すことをお願いしたそうですが、出光佐三は「

畏れ多い」との理由で、それを拒んだと言われています。

境内に名前が刻まれた碑などはありませんが、太鼓橋の前にある燈籠は出光佐三が寄進したものです。また、第二宮・第三宮の手前にある手水鉢に刻まれた「洗心」という文字は、佐三の揮毫(きごう)だといいます。

最後に

今回は、海賊と呼ばれた男・出光佐三と宗像大社についてご紹介しました。佐三の残した功績の偉大さが伝わっていたら嬉しいです。

さて、海賊というと船に乗っていますが、宗像大社は航海安全の神様として有名ですよね。幼いころから宗像大社への信仰が篤かった出光佐三は、日章丸事件といい、宗像の神様に守られていたのかもしれません。