文化遺産『宗像大社』のさまざまな社殿紹介

全国に数ある宗像大社の総本山、宗像大社。2017年には世界文化遺産にも登録され、ますます注目を浴びています。そこで今回は、宗像大社の社殿にスポットを当てて、ご紹介していきます。

目次

創建年代などについて

沖ノ島で祭祀が行われるようになったのは4世紀頃といわれていますが、神社自体の成立はいつだったのかはわかっていません。このように古代から信仰を集めてきた宗像大社ですが、社殿が造られはじめたのは意外にも最近のようです。

辺津宮

辺津宮に社殿が創建されたのは、遅くとも12世紀頃だといわれています。ですが度重なる戦乱によって何度も焼失しています。

本殿と拝殿

最後に消失したのは弘治3年(1557年)とされており、天正6年(1578年)には大宮司・宗像氏貞(うじさだ)によって本殿が再建されたといいます。

拝殿に関しては天正18年(1590年)、当時筑前を治めていた小早川隆景(たかかげ)によって再建されています。これら本殿と拝殿は、ともに国の重要文化財に指定されています。

ちなみに宗像大社には、文化的に数多くの貴重品が存在します。例えば、沖ノ島から出土した宝物です。それらは古代祭祀に使われたと考えられています。そのうち約8万点が国宝に指定されています。他にも重要文化財に指定されている狛犬や宗像大社にまつわる文書などがあり、それらは辺津宮の境内にある神宝館に展示されています。

第二宮・第三宮

辺津宮の本殿の後ろには、第二宮・第三宮というお社があります。それぞれ沖津宮・中津宮の分社で、読み方は「ていにぐう」「ていさんぐう」といいます。中世にはこれらに加え、第一宮も存在していたそうです。そして現在の本殿と拝殿がある場所は、かつての第一宮があった場所だといわれています。

末社

また、社殿の周りにはいくつか末社が並んでいます。末社とは、本社に付属している小さな神社のことです。これらは第3代福岡藩主の黒田光之により、宗像郡内から集められた末社だそうです。

さらに本殿の手前には、宗像祖霊社という末社もあります。こちらは元々他の場所にあったようですが、明治時代に入って辺津宮の境内に移転されました。

中津宮と沖津宮

中津宮の創建年代は不明です。ですが、古いことには間違いありません。中津宮の本殿は永禄9年(1566年)、辺津宮の本殿同様、宗像氏貞によって再建されたものです。福岡県の有形文化財に指定されています。また、現在の拝殿は1928年に再建されたもののようです。

また沖ノ島遥拝所の社殿が資料に出てくるのは1784年、現在の社殿は1933年に造られています。

そして沖津宮に社殿が造られたのは割と最近のことのようで、資料に初めて出てくるのは1644年とのことです。なお、現在の本殿と拝殿は1932年に建立されたものです。

 津宮の社殿の建築様式について

それでは、各社殿の建築様式についてご紹介していきます。

本殿は五間社流造

辺津宮本殿の屋根は柿葺(こけらぶき)で、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)といわれる建築様式です。流造とはわかりやすく表現すると、屋根が側面からみて「へ」に似ている形です。また、「間」とは柱と柱の間の数を表しています。すなわち決宮の本殿の柱は6本ということですね。

拝殿は切妻妻入造

また、拝殿も杮葺きで、切妻妻入造(きりづまつまいりづくり)となっています。切妻造とは棟を境に、左右に二つの斜面がある屋根を持つ様式のことです。また妻入りというのは棟と直角の壁面に、正面の出入り口がある造りのことをいいます。

第二宮・第三宮は唯一神明造

それに対して、第二宮・第三宮は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という建築様式です。唯一神明造というのは伊勢神宮の社殿に見られる造りで、日本で最古の建築様式といわれています。こちらのお宮自体も、伊勢神宮の式年遷宮の際に出た古材によって造られています。

千木について

千木(ちぎ)というものをご存じでしょうか。神社の社殿の屋根で交差しているアレです。この千木ですが、よく見ると二種類あるのです。

千木の種類

ひとつは「外削ぎ」といって、地面に対して垂直となっています。この造りは、御祭神が男であることを表しているといわれています。

一方、地面に対して水平の造りをしているのが「内削ぎ」です。こちらは御祭神がおんなであることを表すとされています。ということで、宗像三女神をお祀りしている宗像大社の社殿の千木は、すべて内削ぎということになりますよね。

宗像大社の千木はこうなっていた

しかし、実際にはこのようになっているのです。

  • 沖津宮→外削ぎ
  • 中津宮→内削ぎ
  • 辺津宮→外削ぎ

なんと3つあるお宮のうち、2つが外削ぎとなっています。これはどういうことなのでしょうか。

その理由とは

なんでも、外削ぎが男神・内削ぎが女神というのは俗説だそうです。宗像大社だけでなく、その通説に当てはまらない神社は多く存在するみたいです。そして、なぜ中津宮だけが内削ぎなのかということも、特に理由はわからないようです。

拝殿に掲げられている「神勅」

最後に、神勅についても紹介しておきます。宗像大社には3つのお宮があるのはご存じだと思いますが、それらすべてのお宮の拝殿に掲げられているのが神勅額です。

神勅とは、すなわち神様からのお告げのことです。天照大神から、宗像大社の御祭神である宗像三女神に授けられたものです。

神勅

奉助天孫而

為天孫所祭

「天皇を助け、丁重な祭祀を受けられよ」という意味です。宗像大社はこの神勅を三女神鎮座の根幹とし、拝殿に掲げています。また、辺津宮の御朱印にもこれらが書かれていますよ。お参りする際には、こちらも忘れずにチェックしてみてください。

【参考】

明鏡国語辞典「切り妻」

広辞苑「妻」「妻入り」

宗像大社「辺津宮神域」

http://www.munakata-taisha.or.jp/html/hetsumiya_siniki.html#honden

宗像大社「辺津宮」

http://www.okinoshima-heritage.jp/visit/hetsumiya

宗像大社「時間旅行ムナカタ第43回 宗像大社の保存と修復」

http://www.city.munakata.lg.jp/w018/030/020/020/540/20150316215641.html

宗像大社「祭祀の変遷と対外交流の証」

http://www.okinoshima-heritage.jp/know/ritual

京都市産業観光局観光MICE推進室「流造(片流と両流)」

https://kanko.city.kyoto.lg.jp/wakaru/culture/shrine/more/file02.html

ゆこゆこ「宗像大社中津宮」

https://www.yukoyuko.net/guide/spot/P40/S400002/SP40365ag2130015480/?id=WG02104

九州観光情報サイト「宗像大社中津宮」

https://www.welcomekyushu.jp/world_heritage/spots/detail/29

PDF

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/suisenchu/pdf/suisensho_2_jpn.pdf

日本経済新聞「宗像大社 ご神体、第二・第三宮に戻る 正遷座祭、厳かに」

https://www.nikkei.com/article/DGXLASJC15H8V_V10C17A9ACW000/

『神話と現代を結ぶ二つの神社 伊勢神宮と出雲大社』三橋健

個人ブログ「宗像大社 辺津宮・千木が外削ぎなのは何故?結末編」←宗像大社からのメールを載せているので信頼高?

http://lunabura.exblog.jp/17899541/

個人ブログ?「宗像祖霊社」←写真なので信頼度高

http://kofunmeguriwalking.web.fc2.com/munakatasoreisya.html

個人ブログ「宗像大社/中津宮」←参詣のしおり信頼度高?

http://www.y-tohara.com/munakata-nakatumiya.html