四の鳥居を入った境内にある本殿、神楽殿以外の摂社について説明して参ります。
さらなる発見や魅力を見つけられたらと思います。
目次
四の鳥居(銅鳥居)
出雲大社の境内を囲う一番外側の垣を荒垣といい、その南側の入り口にあるのが四の鳥居にあたる銅鳥居です。
江戸時代初期に毛利綱広が奉納したもので、青銅の鳥居としてはわが国最古とされています
拝殿
鳥居の前で一礼し、出雲大社の境内の中心に入ります。目に入るのは切妻屋根に大きなしめ縄が印象的な拝殿です。まずはこちらで参拝しましょう。
江戸時代からの拝殿は焼失し、現在のものは昭和34(1959)年の造営となっています。「平成の大遷宮」で御本殿の修繕が行われていた間、御神体に御遷り頂く仮拝殿とされていました。御神体は平成25(2013)年5月の正遷宮で御本殿に戻られています。
十九社(じゅうくしゃ)
東の十九社
西の十九社
拝殿の裏には八足門があり、その左右から伸びる瑞垣が御本殿を囲んでいます。
門の前で改めて参拝しましょう。八足門から右へ進むと、突き当りに横に長い十九社があります。
全国の神社のうち、出雲大社より東の神社は東の十九社、西の神社は西の十九社につながっているとも言われていますので、ここで全国の神様にご挨拶できます。
釜社(かまのやしろ)・文庫
文庫
十九社の隣は釜社です。11月23日夜に行う、出雲国造の霊力を蘇らせる「古伝新嘗祭」では、御神体の釜を拝殿に遷して五穀豊穣を祈る「御釜の祭事」が行われます。
私はここで、日ごろ食を頂ける感謝の気持ちを祈ります。
瑞垣に沿って裏に回るとすぐに大きな建物がありますが、出雲大社の古くからの資料などが収まっている文庫で、中は見ることができません。
八雲山・素鵞社
御本殿の真後ろ、緑に囲まれた八雲山の麓にあるお社は素鵞社です。御祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)は大国主命大神の親神であり、大神を後ろから見守るかのように鎮座されています。
神々が降臨する神奈備山である八雲山と素戔嗚尊の御神気が二重で感じられて、境内の中でも特に強い御神気を頂ける場所です。
縁結びなどのお願い事をするだけでなく、悪縁や邪気といった自分に必要でないものを取り除いた方がよいので、邪気を祓う御神徳のある素鵞社はぜひお参りしましょう。
素鵞社の床縁下の砂を頂いて御守りにするという信仰が古くからあります。
大社の西の日本海に望む稲佐の浜から砂をとってきて素鵞社にお参りし、床縁下に砂をお供えし、代わりにそこにある砂を頂くという手順です。
遷宮の際は、遷られた社の前に木箱が置かれ、お守り用に砂を入れていたそうですが、稲佐の浜から持ってくる方が少なかったようで困ったというような話も聞きました。
八雲山は禁足地で高さ96メートルあったとされる古代の御本殿はこの山の上にあったとも言われています。
素鵞社は御本殿の真後ろになります。瑞垣の外から御本殿を一番近くで見られる場所です。私は重要なお願いがある時には後ろからもご挨拶し、陰と陽を結ぶようにしています。
彰古館・拝礼所
次に見えるのは彰古館という出雲大社の展示館です。
大小の大国様、恵比寿様が並び、神楽用の笙の楽器類、古文書類も多数展示してあります。有料ですが、一度入られることをお勧めします。
ちょうど御本殿の真西には拝礼所があります。何のために?と思う方もいらっしゃることかとは思います。
ただ理由は簡単で、出雲大社の御本殿は南向きですが、御神体は西を向いているからです。正面にあたる西側から参拝する方が増えたため近年設置されたそうです。
氏社・神馬、神牛・神祜殿(宝物殿)
瑞垣の西側には氏の社が二つ並んでいます。
向かって右側の社は出雲国造の祖である天穂日命(あめのほひのみこと)を祀っています。
左は朝廷より出雲臣の姓を賜った第17代国造の宮向宿禰命(みやむきすくねのみこと)です。
四の鳥居の左側には神馬、神牛の像があります。神馬は触れると子宝と安産の御祈願、神牛は豊作の御祈願のために触れられています。頭の部分は触られすぎてぴかぴかになっています。
宝物殿には大変貴重なものが多数展示されていますが、平成の大遷宮に合わせて現在はリニューアル中で、平成29年9月末ごろまで工事中だそうです。
関連ページ「全国の神様を迎える神在祭」
「現人神・出雲国造」
「大国主を見守る神々」
「御本殿~歴史と神秘の建築物~」
「大きな注連縄が目印!出雲大社神楽殿」
「60年に一度の大遷宮」
「妊婦の方も出雲大社へ!」
「出雲大社の謎」
「出雲大社と砂の御守り」
「出雲大社の御神体とは」
「出雲大社の庁の舎を知っていますか?」