伊勢神宮の別宮である「ツキヨミノミヤ」は、二つ存在しています。それぞれ、内宮・外宮にあり、内宮は月読宮、外宮は月夜見宮と書きます。
今回はそれぞれの別宮の特徴、またご祭神についてご紹介します。
目次
内宮の別宮「月読宮」
内宮の別宮にあたり、荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐお宮であり、内宮の宮域外では最高格の別宮とされています。
※荒祭宮とは内宮の境内にあり、天照大御神の荒御魂(あらみたま)を祀っています。内宮第一の別宮です。荒御魂とは、荒々しい活発な神徳を表します。
由来
月読宮のご祭神は内宮の祭神、天照大御神の弟神・月読尊(つきよみのみこと)です。月読尊は月の満ち欠け、つまり暦を司る神です。
もう少し詳しく説明すると、「月を読む」とは月の満ち欠けを数えることを意味しています。月を暦にしていた時代は、生活や農耕に深く関わっていた月の神が尊ばれていました。
月読四宮
内宮の別宮であるこちらのお宮は、「月読四宮(つきよみしくう)」とも呼ばれています。なぜなら域内に、月読宮と月読荒御魂宮、また伊佐奈岐宮、伊邪奈弥宮の、4つのお宮が建てられているからです。
お気づきのように、月読尊を始め、父神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、母神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)も一緒に祀られており、天照大御神の家族が並んでいます。
それらのうち、月読宮は右から2つ目のお宮です。こちらの4つのお宮をお参りする際にはまず月読宮から、というのが正式な順序といわれています。
外宮の「月夜見宮」
外宮の北には「月夜見宮」という、外宮の別宮があります。
由来
月夜見とは月読宮の「月読」と同様の意味で、月夜見宮は月夜見尊と月夜見尊荒御魂をお祀りしています。もとは外宮の摂社首位だったのですが、鎌倉期において、別宮に昇格したそうです。明治期に、内宮は月読、外宮は月夜見と表記するようになります。
夜になると・・・
月夜見宮と外宮の北御門口は、「神路通り」という道で結ばれています。実はこの道、夜になると、月夜見尊が石垣の一つの石を白馬に変えて、外宮へとお参りになる道という民間伝承があるそうです。
そのため、信仰の篤い伊勢の人々は、夜はなるべくこの道を通らない、もしくは道の真ん中は歩かないようにしているんだそうです。
月読宮と月夜見宮の御祭神は一緒
もう既にお気づきかもしれませんが、内宮の月読宮と外宮の月夜見宮、それぞれ漢字は違いますが、同じ神様をお祀りしています。伊勢の人々からは、今でも「つきよみさん」と呼ばれ、親しまれています。
謎が多い月の神様
月読命は、『古事記』において、天照大御神の次に生まれたとされる神様です。月を読むという名前から、暦注(暦に載っている方位や日時の吉凶)の神となりました。しかし、古事記や日本書紀など神話にはあまり描かれていません。
神話になかなか登場しいないどころか、例えば『古事記』では伊邪那岐の右目から生まれたとされている一方、『日本書紀』では左目から生まれたことになっているそうで、食い違いが見られます。また、『日本三代実録』では姫神とされているほどだそうです。
穀物の起源
月読命に関しては『日本書紀』の中に、こんな話があります。天照大御神からの命を受け、保食神(うけもちのかみ)という女神に会うため、葦原中国(あしはらのなかつくに)へと向かいました。葦原中国というのは、日本神話において、いわゆる日本の国土のことを指します。
保食神は、月読命の訪問を喜びます。すると、首を回してはお米を、海に向かっては魚を、山に向かっては様々な動物たちを口から吐き出し、月読命にこれを食べるように勧めました。
しかし、これを見た月読命は、口から出したものを食べろとは、下品極まりないとし、保食神を斬り殺してしまいました。神話とはいえ、なんとも穏やかではない話ですね。やがて保食神の死体からは、稲や大豆、牛馬などが生まれました。これが穀物の起源といわれています。
また、その報告を聞いた天照大御神は激怒し、月読命に「顔も見たくない」と言い、昼と夜ができたとされているそうです。