出雲大社のルーツを探る!

出雲大社のルーツを探る!



神話から出雲大社創建をみる



出雲大社の境内や境外にある摂社・末社には、大国主命大神が成長し、国造りを進め、国譲りをして大社に祀られるまでに様々にかかわった神々が祀られています。出雲神話の中でその関係をみていきます。そしてその中で出雲大社創建までの運びも学びましょう。
これを知っていればより出雲大社の魅力を感じられることでしょう。

以下「国譲り」までの神話内容の要約

若き日の大神は慈愛に満ち、女神に好かれますが、そのために兄弟である八十神の嫉妬にあい、真っ赤に焼けた巨岩に潰され、瀕死の重傷を負います。


嘆き悲しむ母神の刺国若比売(さしくにわかひめ)からの願いを受け、「造化の三神」の一神・神産巣日大神(かみむすひのおおかみ)(命主社)が、蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむぎひめのみこと)の2柱の女神(天前社)を遣わして治療させ、大神は死の淵から蘇ります。


しかし、その後も八十神からの迫害はやまず、大神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)(素鵞社)が治める根の国に身を寄せました。そこで素戔嗚尊の姫神・須勢理毘売命(すせいりひめのみこと)(御向社)と結ばれます。素戔嗚尊から試練を姫の助けを得て乗り超えた大神は、姫とともに根の国を脱出したのです。


大神はその後、国造りにまい進します。須勢理毘売命の他にも、九州から嫁いだとされる多紀理比売命(たきりひめのみこと)(筑紫社)などおおくの女神とも結ばれ、大神の国造りを助けた下照比売命(したてるひめのみこと)(乙見社)らたくさんの子宝に恵まれています。

(そしてここからが神話「国譲り」の内容です)

大神のところへ天照大御神(あまてらすおおみかみ)を中心とする高天原の天津神たちが地上世界の統治権の献上、すなわち国譲りを求めてきたのです。しかし、使者として送り込まれた天稚彦(あめのわかひこ)が、才色兼備のほまれ高い下照比売命と結ばれて8年たっても戻らないほど何度も使者を送っていたものの国譲りが進みません。そこで高天原は名高い武神である武御雷神(たけみかづちのかみ)(因佐神社)を派遣します。


稲佐の浜に降り立った武御雷神の要求に対し、大神は即答を避け、息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)(三歳社)と建御名方神(たけみなかたのかみ)の意向を聞くように求めました。使者に立った稲背脛命(いなせはぎのみこと)(伊奈西波岐神社)に連れられてきた事代主神は「恐れ多いことです。この国は御子に差し上げましょう」と恭順の意を示して死んでしまいますが、建御名方神は巨大な岩を軽々と持ち上げながら、力による決着を求めました。


しかし、武御雷神の圧倒的な武によって諏訪の地まで追いやられて降参し、この地から出ないことを誓い鎮まりました。諏訪大社の御祭神が建御名方神なのはこの神話によります。これが国津神大国主命大神が天津神に国を渡した内容の神話「国譲り」です。


こうして国譲りを受諾した大神が、その条件として造営を求めたのが出雲大社です。大神は天照大御神の使者を岐神(出雲井神社)に命じて諸国を案内させたのち、大社へと鎮まります。そして天からの使者そして皇室の祖である邇邇芸命(ににぎのみこと)にこの国を渡します。その際に饗応をしたのが櫛八玉神湊社)で、大神を祀るために高天原から遣わされた天穂日命(あめのほひのみこと)(氏社)が、宮司である出雲国造の祖神となるのです。そうして現世は皇室である邇邇芸命が司り、幽世(かくりよ)を大国主命大神が司ったのです。


創建からの変遷



出雲大社の創建に関しては多くの謎があり、そのぞれぞれに多くの説があります。
例えば、なぜここまで大きなお社を作る必要があったのかということです。ここでは詳しく説明しませんが、大きなお社を作るのが創建当時の文化であったとか、冥界を司る神なので天にできるだけ近くするためとか、国を譲ったことに対しての復讐が起きないように大々的に祀ったとか・・・議論は尽きません。


本殿は「雲太・和仁・京三」と平安時代の大きなものの数え歌に入るくらいのものでした。現在は24メートルですが、48メートルもの高さがあったと言われています。さらに古代は96メートルあったという言い伝えもあります。

さて、そんなに大きかった出雲大社の本殿は何度も倒壊しますがそのたびに建て直されてきました。倒壊するたびに同じように大きな社を建てるところに出雲大社の存在意義の大きさを感じます。


鎌倉時代になると朝廷に力がなくなり立て直しが厳しくなります。急激に縮小化が進み、やっと江戸時代になり現在の大きさに戻り、1744年に今の御本殿が造営されます。その後平成の大遷宮を含む4回の遷宮を経て現在に至ります。


そして最も大きな特徴は大国主命大神を祀っているということから転じた縁結びの神社となったことです。

なぜ大国主命大神から縁結びなのかというのは諸説ありますが、「国譲り」を思い出してください。


国津神の大国主命大神がこの国を譲ったことにより幽世の仕事(これを「幽(かく)れたる神事」といいます)、つまり神様の世界の事を司るようになりました。この内容こそ万物の縁を繋ぐことなのです。そして10月になると全国の神様が出雲に集まり、ご縁について会議するのです。ここから出雲大社は縁結びの神社とされています。はっきりとした記述な無いようですが、江戸時代にはもうこの信仰はあったようです。


出雲大社のルーツを探るための書籍は記紀や出雲風土記しか残っていませんが、この世界にタイムスリップし、神々の世界に浸ってみるのもいいかもしれませんね。




関連ページ「60年に一度の大遷宮
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     「大国主を見守る神々
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     「出雲大社の謎

 

(最終更新:2017年1月20日)コメント0130 PV

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