目次
庁の舎とは?
庁の舎とは元々出雲大社の社務所でありました。旧来の庁の舎は1953年に焼失したため1963年に、防火性能が高く災害にも強い鉄筋コンクリート構造で建築家菊竹清訓氏のもと再建されました。これが現在の庁の舎です。
そのデザインは稲作の工程の一部「稲掛け」をモチーフにしました。これは古代の住宅が由来とされている本殿を菊竹氏が直感的に米蔵だと感じたからだそうです。本殿が米蔵ならば庁の舎は稲掛け、境内で稲作の文化を表現したということです。
庁の舎は歴史の深い出雲大社という場所で、コンクリートという現代的な素材をうまく使い調和させたことで菊竹氏のファンのみならず、出雲大社ファンにも人気が高い境内の建築物です。
現在の庁の舎
建設当初の主要な機能は宝物展示でしたが、これは真向いの神祜殿(しんこでん)に移り、その後は賓客を迎える場所として使われていたようです。
しかし、老朽化と慢性的な雨漏りのためにこの数年は使用されておらず、改築が検討されていました。庁の舎は海外の建築学のテキストに掲載されるほど国際的にも高い評価を受ける建築物で、菊竹氏の代表作であり、傑作とも言われていました。
そのようなことがあり、改築に対しては菊竹氏の母校である早稲田大学の学生を中心とした5団体による保全運動がありました。
しかしながら出雲大社は、その維持費が建築費を上回ったという背景もあり方針の変更はなく先月11月に解体が始まりました。
国内外から高い評価を受けていた建築物の取り壊しは心苦しいところがありますが、出雲大社はこれまで遷宮において神威の復活、蘇りを見せてきました、今回の庁の舎の改築もまた新たな歴史と伝統の始まりととらえ、復活を楽しみにしたいところですね。
建築家 菊地清訓
菊竹清訓(1928-2012)
日本を代表する建築家。「か・かた・かたち」という構想と機能、技術などを螺旋構造的に考え設計をするという概念を作り、彼の事務所で働いた経験がある著名な建築家伊東豊雄に「このような狂気を秘めた建築家は今後現れないだろう」と言われました。
全国に作品があり有名な作品には江戸東京博物館、西部百貨店渋谷ロフト館、学習院大学法学部経済学部研究棟などなど。島根の建築物も多く手掛けており、島根県立美術館、島根県立博物館、に加え、出雲大社の彰古館の設計も菊竹氏なのです。
建築については何も詳しくはないのですが、個人的な感想として菊竹氏の設計した建物はレトロとモダンが入り交ざった繊細かつ大胆な作品が多くあるような感じがします。