平成19年(2007)に「石見銀山遺跡とその文化的景観」という名で世界遺産(文化遺産)に登録されました。銀の生成には大変多くの燃料を必要としますが、石見銀山は環境に配慮し、自然と共生した運営を行っていたことを高く評価されて登録されました。国内では14件目、鉱山遺跡としてはアジアで初めての快挙です。
石見銀山の歴史
石見銀山は、1526 年、博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)が、海上から山が光るのが見えたとし、そこで発見されて以来、約400 年にわたって採掘された日本を代表する鉱山遺跡です。
大航海時代の16 世紀、日本の銀鉱山としてヨーロッパ人に唯一知られた存在で、当時ヨーロッパで作られたアジアや日本の地図に、石見銀山付近を指して「銀鉱山王国」「銀鉱山」と記されていることからも明らかです。
また、石見銀山で生産された銀は高品質で、東アジアで最も信用が高く、石見銀山の所在する佐摩村(さまむら)にちなんでソーマ銀と呼ばれ流通しました。そしてソーマ銀は銘柄の一つとして国内でも広く流通しました。
16 世紀半ばから17 世紀前半の全盛期には、石見銀山で産出された銀をはじめとする日本銀が、世界の産銀量の約3分の1 を占めたといわれています。
石見銀山には600以上の間歩(まぶ)が確認されているそうです。間歩とは銀を採掘する坑道の事です。アリの巣のように縦横無尽に掘られた間歩は大半は縦90センチメートル横60センチメートルという小さなものですが、主なものとして公開されている龍源寺間歩、大久保間歩は幅5メートル長さは数百メートルにもなり、当時の手堀りの跡も見ることができます。
当時鉱山で働く労働者は掘削の際に生じる粉塵で平均寿命は30歳ほどだったといいます。当時の日本経済を支えた男たちのまさに遺跡を見て感じることができるでしょう。
出雲大社から石見銀山へ
出雲大社から石見銀山へは車で約1時間公共交通機関を利用すると1時間30~2時間ほどとなります。少し時間のかかる場所ではありますが、世界遺産に登録されてから多くの方が見学に訪れます。
車で行く方は注意です。石見銀山では歩いて散策する方の安全の確保と遺跡や文化財が集中する地区での交通渋滞を防止するために交通規制を行います。したがいまして、車で行く方も途中で公共交通機関に乗り換えて向かう方法が推奨されています。
◆車で向かう方
国道431号線
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多伎町多岐
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山陰道/国道9号線
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長久町延里から県道46号へ
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大森町の石見街道
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石見銀山街道
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石見銀山
◆電車・バスで向かう方
出雲大社正門前
↓(一畑バス)
JR出雲市駅
↓(山陰本線)
太田市駅
↓(石見交通バス)
石見銀山 大森停留所