出雲大社の謎に迫る

出雲大社は様々ながあり、様々な見方や考え方があります。
ここでは有名な出雲大社の謎を取り上げ主に神話から考えてみたいと思います。

謎を解くようなことは本当は野暮なことなのかもしれませんが、好きだからこそ探りたいという気持ちで進めさせていただきます。

諸説あるうちの一説としてみて頂ければ幸いです。歴史学的見地からは見ずに、あくまで神話から考え、しかも大きく主観が入ったものですがご了承ください。

目次

なぜ縁結びの神様なのか

日本の神社のなかで縁結びの総本山といっても過言ではない出雲大社。
ではなぜ出雲大社が縁結びの神様なのか、これについてご説明します。

大きくは二つで、神話によるもの、もう一つは御祭神「大国主命大神(おおくにぬしのおおかみ)」の性格によるものです。

国譲り」神話のあらすじからご説明します。

大国主命大神のところへ天照大御神を中心とする高天原の天津神たちが地上世界の統治権の献上、すなわち国譲りを求めてきたのです。しかし、使者として送り込まれた天稚彦(あめのわかひこ)が、才色兼備のほまれ高い下照比売命と結ばれて8年たっても戻らないほど何度も使者を送っていたものの国譲りが進みません。そこで高天原は名高い武神である武御雷神(たけみかづちのかみ)(因佐神社)を派遣します。

稲佐の浜に降り立った武御雷神の要求に対し、大神は即答を避け、息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)(三歳社)と建御名方神(たけみなかたのかみ)の意向を聞くように求めました。使者に立った稲背脛命(いなせはぎのみこと)(伊奈西波岐神社)に連れられてきた事代主神は「恐れ多いことです。この国は御子に差し上げましょう」と恭順の意を示して死んでしまいますが、建御名方神は巨大な岩を軽々と持ち上げながら、力による決着を求めました。

しかし、武御雷神の圧倒的な武によって諏訪の地まで追いやられて降参し、この地から出ないことを誓い鎮まりました。

諏訪大社の御祭神が建御名方神なのはこの神話によります。

これが国津神大国主命大神が天津神に国を渡した内容の神話「国譲り」です。

この国譲りをした後、天津国の神々が人間世界の政治を行うという取り決めが行われました。

ではそれまで人間世界を司っていた大国主命大神はどうなったかというと、逆に天津国の政治を任されました。天津国(=神の世界)を幽世(かくりよ)と呼び、幽世の政治を「幽れたる神事」といいます。

では幽れたる神事とは何をするのでしょうか。

実はこれがまぎれもなく万物のむすびの取り決めをすることなのです。

旧暦の10月になると全国の神様が出雲地方に集まり隠れたる神事を会議します。

その中には男女のご縁のことも含めれるために出雲大社は縁結びの神様と言われています。

もう一つの理由大国主命大神の性格については、記紀に記されているのですがかなり

モテて后の神様も何人もいたということで恋愛運が高いという解釈で縁結びの神様であるという認識となったんですね。

主なもの2つを上げましたが、どちらが正解というわけではなく、様々な要因が相まってこのように言われているのではないでしょうか。

なぜ本殿はなぜ大きいのか

平安時代の数を数える口ずさみ歌に「雲太、和仁、京三」という大きなものを順番に並べたものがあります。

この中の雲太というのが出雲大社で、和仁は東大寺の大仏殿、京三は平安京の太極殿なのです。

その二つをしのぐ大きさを持った出雲大社。

現在も本殿は24メートルもありますが、
鎌倉時代までは48メートル
古代は96メートルもあったとされています。なぜそんなに大きな社殿が作られたのでしょうか。

本殿裏

これは神話の中にヒントがあるのではないかと考えました。

国譲りをする際、大国主命大神がその代わりに出した条件にこれがあったのだと考えます。

というのも幽世を司るのでできるだけ天に近づけるためではないかと考えられないでしょうか。

おそらく大国主命大神は自分が治めている国を譲り渡すということに対しては、

そのくらいのお返しは当然だと考え、国譲りを命じた天津国の神々もそのくらいであればと条件をのんだのだと思います。

別の見方としては井沢元彦さんの「逆説の日本史①古代黎明編」(小学館)の中で書かれている天津国側が大国主命大神の祟りを恐れて大きな社殿で祀ったという説も当時の歴史と絡めていて面白いなと感じました。この本には出雲大社の他の謎にも触れていますので、気になる方はぜひ読んでみてください。

正面を向いていない御祭神

通常神社の御祭神は神社の社殿と同様に北を背にし、

南の方角を向いています。

しかし出雲大社では鎮座されている御祭神は

東を背にして西を向いているとされています。

このような神社は出雲大社以外では見られません。なぜでしょうか

一般的な見解は

・西の方を見ているのは海、また北九州との関係があるのではないか
・出雲大社の本殿は古代の住居を現したもので、正方形の部屋に仕切りを設けてコの字方にし、入口より一番奥の部屋を上座としたから
・大国主命は右耳が不自由で、左(西)を向いている

というものです。
確かに本殿の形状通りに座ると最上座は西向きになると思いますし、

合理的と言えば合理的な理由となるような気がしますが、私は西という方角に注目してみます。

出雲大社の西側にあってすぐに見えてくるところと言えば、稲佐の浜です。
そうです神在祭のときに全国の八百万の神様が出雲に入ってくる入り口です。

幽世(かくりよ)を司り、神在祭ではいわばホストにあたる大国主命大神がそちらを向いて出迎えることはなんの不思議も感じません。

また稲佐の浜よりずっと先には福岡県の裏伊勢とも呼ばれる宗像大社あり、

そちらを見ているとも考えられますが、根拠に欠けるので却下します。

ということで西向きに御鎮座されているという謎の私の答えは

全国の神様を迎えるために稲佐の浜を向いている」というものです。

八雲の図の謎

出雲大社本殿の天井には「八雲の図」という、

瑞雲(ずいうん)」(めでたいときに現れる雲)が描かれています。

紫色や五色のものとされていますが、出雲大社の天井の瑞雲は綺麗な五色で描かれています。

瑞雲※このような雲に「青・ピンク・黄・緑・橙」の5色

同様に八雲の図が描かれているのが神魂神社(かもすじんじゃ)です。

松江駅から車で30分ほどのところにある、日本最古の大社造りの神社です。

主祭神は日本版アダムとイブのイブにあたる伊邪那美(いざなみ)で、合祀されているのがアダム伊邪那岐(いざなぎ)です。

そもそもなぜこの八雲の図が描かれているのかというと、

これは私の見解ですが、そもそも出雲大社は伊勢神宮と対にあるものと考えられています。

現世と幽世(かくりよ)、明と暗、陰と陽のように、伊勢神宮の主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。

出雲大社は大国主命大神(おおくにぬしのみこと)、
天照大御神は太陽の神とされています、ではその太陽の光を遮るものは何でしょうか?

そうです、太陽の光を遮り暗の象徴と考えると
大国主命大神は雲なのです。(太陽の対に月という考え方もあるが、月読尊(つくよみのみこと)がいる)

その理由で出雲大社には雲が描かれているのではないでしょうか。

さて、一番の謎はその絵がかれている雲の数です。

出雲大社の八雲の図の数=7個
神魂神社の八雲の図の数=9個

足すと確かに16個になっていますがなぜ数はバラバラなのでしょうか。

様々な説がありますが、
多くの寺院建築で伝えられている「無常」の発想なのではないかと感じています。

神道に仏教の思想は・・というところは今回置いておいて、
つまり「常なるものは無い」という考えです。

完成は即ち老化、崩壊、消滅へのスタートということで、完成させない、
不完全であることで崩壊へは向かわせないという考えからこの形をとったのでしょう。

それはそれぞれの神社の雲の数が合っていないというところと、

出雲大社の雲が一つだけ向きが逆というところからも考えられます。

また神魂神社の9個も、始まりである「一」から、始まりを断つ(つまりゴールである)「十」に達さない数とも考えられます。

祀られている神々の神威、お社そのものや信仰心を永代残していくため、

そのテーマは「不完全」にあったのではないでしょうか。

注連縄の向きが普通とは逆

神楽殿にある日本一大きい注連縄

七五三縄とも表記する「シメナワ」は、人間世界と神域を分ける結界を表したり、
依り代を囲ったりするものとされています。元々奉納するものであった相撲の力士が回しに注連縄をしているのも神聖な存在ということですね。

注連縄 依り代※神様の依り代になり、いわゆる御神木には写真のように注連縄が張られる。

さてその注連縄ですが、詳しい人でないと一目では分かりませんが、出雲大社の注連縄は通常のものと向きが逆になっているのです。

通常神社等では神様に向かって

右側が上位
左側が下位


とされますので結い始めが右にくるのですが、出雲大社では逆になっています。
神楽殿これについても例外ではなく様々な説があります。
大国主命大神は幽世(人間の死の世界)を司る神なので死の世界では逆である、

というものをよく見ますが、出雲大社の公式HPにコメントがあります。
それによると、

・本殿内に祀られている客座五神の上位「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」が左に御鎮座されている
・江戸時代の祭事の記録にお供え物をする際の上位は左側、下位が右側とされている

ということです。
更にそれの所以を探っていくのはここでは避けますが、出雲大社の注連縄が逆向きの理由は上記のようになります。

四拍手

通常神社での参拝は一般的に「ニ礼二拍手一礼」とされていますよね。
でも出雲大社では「四拍手」なんです。その理由として言われている説は

・「四」は「シ」であり「死」に通じる
・幸せの「し」だから四拍手
・左を向いている大国主命によく聞こえるように
・人や神の魂は、「和魂」、「荒魂」、「奇魂」、「幸魂」の四種類が有り、この四つの魂にそれぞれ柏手を打っている

面白い説ばかりですよね。
大国主命大神が西を向いている説に「右耳が聞こえないため」という説があり、
聞こえるために通常よりも多く手を打つということがありますが、右耳が聞こえないという根拠が調べても見つからなかったのでどうだろうなと考えてしまいます。

私の中にもこれに関しては明確に答えを見いだせていません・・すいません。

ただ神社等古からの言い伝えなどでは今でいう「ダジャレ」や「連想ゲーム」のようなものが多く残されているということから、幸せの「シ」であってほしいなぁと個人的に考えています。

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