現人神・出雲国造

現人神・出雲国造

 

※画像はイメージです

出雲大社の東側に北島国造館があります。出雲大社の宮司は「出雲国造(こくそう)」と呼ばれ、千家家が受け継いでいますが、明治までは北島家もともに今でいう宮司としてお仕えされており、出雲では今も同等に敬意を集めています。宮司とはその神社の長、管理者でありますが、ここでは出雲国造とはどのような存在なのかをみていきます。

 

出雲国造とは


神話の中で、天照大神が大国主大神が治めていた地上に高天原から遣いに行かせます。その遣いに出されたのが天照大神の第二の御子神であり出雲国造の祖、天穂日命(あめのほひのみこと)です。天照大神の第一の御子神が天忍穂耳命(あめのおしほのみみのみこと)で現在の皇室の祖ですから、出雲国造の家系は皇室と同じく神話の世界から今なお続く家系になります。

天穂日命は古事記、日本書紀では、天照大御神のお使いとして大国主命大神のもとに遣わされたものの、その人柄に惹かれて命を達せなかった神とされていますが、「出雲国造神賀詞(※1いずものくにみやつこかむよごと)」においては、「大国主命大神を和らげ鎮められて、国内平定に力を尽くされた神」とされています。日本書紀では、国土奉献をされた大国主命大神に対して、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)のお言葉として「あなた(大国主命大神)の祭祀をつかさどるのは天穂日命である」との記述があります。それ以来天穂日命の子孫である出雲国造が代々大国主命大神に仕えているのです。


天穂日命から代々受け継いできた出雲の国造家は、南北朝時代に千家家北島家に分かれました。江戸時代からは奇数月は千家家偶数月を北島家が祭祀を受け持っていましたが、「一つの神社に宮司は一家」とする明治政府の方針で、千家家が公式に宮司職を受け継ぐことになりました。

北島国造館にも数々のお宮があり参拝客が訪れます。結婚式を挙げる地元の人も多く、「北島国造家」として慕われています。

出雲国造になるということ


歴代の出雲国造は火継式という儀式によりその役職に就いてきました。第八十二代出雲国造千家尊統(たかむね)国造は著書『出雲大社』(学生社)にて

しかも古伝によれば出雲の大社の祭祀は、国造家の遠祖である天穂日命がこれにあ たるべく、他の者であってはならない。天つ神の仰せとして「汝が祭祀を主らん者は天穂日命これなり」ときめられているのである。そして天穂日命は意宇(おう)郡(ぐん)の熊野大社櫛御気野命から授けられた火燧臼(※2ひきりうす)・火燧杵(ひきりきね)で鑚(き)りだした火で潔斎し清浄な躬(からだ)で大国主神に奉仕することになった。神代の約束にしたがって代々の出雲国造はつねに天穂日命でなければならないのである

つまり一般社会での就任のようなものではなく、天穂日命の神様に生きたまま成り替るということなのです。

先代国造が亡くなると出雲国造の代替りをするため喪に服す間もなく国造家に伝わる火燧臼と火燧杵を持って熊野大社に赴きます。そして鑽火殿においてこの臼と杵を使い神火を切り出し、その火で調理した料理を神前に供え自らも食べることで出雲国造となります。その後は神魂神社にて饗宴を受けたのち、出雲大社に戻り報告の儀式を行い火継式は終了します。


こうして出雲国造となった後、在任中は火継式で鑽り出された火を斎火殿(御火所)にて保存し、一生その火で調理したものを食べます。国造以外は家族でもそれを口にすることはできません。代々の国造の霊魂を自らの体に取り込むのだとされているからです。


またそれ以外にも、年に70以上ある祭事を執り行ったり、社務内、社務外のお仕事で多忙な毎日を過ごしておられます。


※1
一年の間、出雲の186社の神を国造が祀り、天皇陛下の大御代の長久を祝い終えたことを報告し申し上げるもの。出雲の神々が奉る祝いの詞。
※2
古代の人々が火をおこすときに使った道具で、最も原始的な古い形式の発火器。

(参考:中島隆広「神々が集う地へ 出雲大社」株式会社青林堂)




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